… そして,その後の歴史を経て定着したものは《武経七書》あるいは単に《七書》とよばれるもので,宋の元豊年間(1078‐85)に,武官の教育のために頒布されたのが始まりである。《孫子》《呉子》のほかに,春秋末期の斉の将軍司馬穣苴(じようしよ)の兵法を伝えるという《司馬法》,戦国時代の魏王に招かれた尉繚(うつりよう)の著書という《尉繚子》,周王朝の創業者太公望呂尚(ろしよう)の著と伝えられる《六韜》,黄石公が伝えたという《三略》の4書と,唐の李靖(りせい)が太宗のために兵を論じたものを後人が編集した《李衛公問対》を合わせたものである。《司馬法》は軍政を主とし,《尉繚子》は実戦をも合わせて賞罰の厳正をいい,《六韜》は最も内容豊富で戦闘技術に及び,この3書は戦国時代のおもかげを伝えているが,《三略》は後漢末の仮託であるらしい。…
…六編と三編の書であることをあらわす。《六韜》は周王朝の功臣太公望呂尚(ろしよう)の著と伝えられるが,仮託である。戦国末期の作であろう。…
※「六韜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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