軍学,兵学のこと。〈用兵の法〉の略語で,兵はもと武器の意から転じて軍隊の意。戦争技術としての戦術論,戦略論を含む戦争論である。
中国の兵法は,戦争を国家の存亡にかかわる大事ととらえ,政治経済とも不可分の関係で説かれるほか,将帥の人格的役割を重んじ,人心の和合を具体的・技術的方法とともに用兵上の眼目とするところに,特色がある。したがって,その兵法は具体的な戦術論も重要ではあるが,それを裏打ちする思想性があり,戦争一般から人生問題にも通ずる広がりをもっている。ただ一般に現実主義的で,戦争そのものの本質を探求するといった原理的な考察には乏しい。その資料は《孫子》《呉子》などの兵書類に備わるが(兵家),また《荀子》《墨子》その他の諸子の書や《春秋左氏伝》《史記》などにも見えている。なかでも《孫子》は古来兵法の聖典とされ,後世の兵法に大きな影響を及ぼして中心的な立場を占めている。
中国の兵法の内容は,まず《孫子》が〈兵とは国の大事なり〉と重々しく宣言するように,戦争の重大性を認識して軽々しい開戦を戒める。《老子》でも戦争を凶事だとしているが,〈戦わずして人の兵を屈する〉のが最善であった。しかしまた戦争は避けることのできないもので,ときとして断固とした決戦が必要である。この場合,開戦前に政治的・経済的・自然的条件について彼我の状況をよく知り,味方を不敗の態勢におくことが大切であるが,特に国内の人心の和合と将軍の徳性が考慮される。将軍が任命されたからには君主でさえもはやみだりに口をはさむことは許されない。将軍の資質と能力は軍の統率と戦争の遂行に決定的な影響をもつとして重視される。こうした点には儒教の道義性や人治主義の影響があり,その傾向は戦争目的の大義名分の強調などともなって後世に至るほど強まる。しかしまた〈兵は詐(いつわり)を以て立ち,利を以て動く〉というのは儒教道徳に背き,自然の情勢を貴んで深遠な秘密主義を説くところには《老子》との関係もみられる。
さて実戦となると,有利な点を求めて先制し,主動的に迅速に行動することが求められる。もちろん味方の動静はあくまで秘密にし,スパイを放って敵の状況を把握し,その意表をつく行動をとる。戦争にも仁道をという主張もあったが,〈兵は詭道(うらのみち)なり〉で敵の裏をかく行動がむしろ重要だとされ,敵を離間させて内乱させる謀略も大いに必要とされる。ただこの場合も一方的な術策だけに終始せず,正常なやり方との交互の循環的運用でいっそうその効果があがるとされた。こまかい戦術としては,たとえば《孫子》では火攻めのかけ方,スパイの種類を細説するなど,そのまま実戦に役立つことが多く,〈鳥の飛びたつのは伏兵なり,ほこりが高く上がって前のとがっているのは戦車の攻撃なり〉と敵情視察の方法を説くような実体験にもとづく有名なことばも多い。
→兵書
執筆者:金谷 治
日本においても,本来は軍法,軍略,戦術,謀略など戦闘に関する諸法の称であったが,のちには武芸に限定する意味が強くなり,兵法者(へいほうじや)とは武芸に練達する者を意味した。また〈ひょうほう〉と呼ばれることも多い。古代の兵法は中国伝来のもので,《司馬法》《孫子》《八陣書》《太公六韜》《兵書論要》など多くの兵書が舶載されており,《日本書紀》の天智紀には兵法に閑(なら)える者に授位した記事がみえる。奈良時代では唐に留学した吉備真備(きびのまきび)が兵法にくわしく,平安時代では学者の家として著名な大江氏が歴代兵法を伝え,大江匡房(まさふさ)は源義家に秘法を授けたという。
しかし兵法の諸流派が喧伝されるようになったのは幕藩体制下軍学(兵学)が興隆してからである。軍学の主流は武田氏の遺臣と称する小幡景憲が創始した甲州流軍学と考えてよいであろうが,この門下から北条氏長が出て北条流を開き,氏長の門下から山鹿素行が出て山鹿流を開き,《兵法神武雄備集》《武教全書》などの兵書を著した。氏長と同門の小早川能久の門下には香西成資があって《武田兵術文稿》を著した。このほかの流派には越後流,信州流,楠流,上泉流,徂徠流などの名があげられるが,これら諸流を批判し,内外古今の兵法を参酌して一流を開いたのが長沼流の長沼宗敬で,《兵要録》はその代表的著作である。また林子平や平山子竜は海防を論ずるところがあったが,日本の水軍の兵法としては瀬戸内海賊の能島氏や菅氏の伝書が知られている。
一方武芸としての兵法の諸流派も戦国時代末期以来隆盛に向かった。刀術(剣術)では,飯篠長威斎を流祖とする天真正伝神道流,上泉秀綱の神陰流,この門流の塚原卜伝の卜伝流,丸女蔵人の心貫流,柳生宗厳の新陰流,中条流に属する富田景政の富田流,丹石軒の丹石流などは比較的古い流派であり,戦国時代末から近世初頭にかけて古記録や古文書に記載があり,伝書も残されている。北畠具教や徳川家康,豊臣秀次らが刀術の免許を受けていたのは有名である。なお槍術,柔術,弓術,鉄砲,馬術などにも多くの流派があった。
執筆者:岩沢 愿彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…古代,《日本書紀》には〈多知加伎(たちかき)〉〈多知宇知(たちうち)〉とあり,〈撃刀〉という語も〈たちかき〉と訓じている。平安時代から鎌倉時代ころは〈太刀打(たちうち)〉,室町時代後期から江戸時代初期にかけては〈兵法(ひようほう)〉が多く用いられたが,江戸時代は〈剣術〉が最も多く,ほかに〈剣法〉〈刀法〉〈剣技〉などの名称も用いられた。明治時代は〈撃剣(げつけん)〉が多く用いられるようになる。…
…兵学,兵法ともいう。軍学は一般に隊伍・兵器の配合,軍役の数などを論ずる軍法が中心と思われがちだが,その内容は,出陣・凱旋・首実検などの式を定める〈軍礼〉,武器の製法・製式を論ずる〈軍器〉,戦略・謀計を論ずる〈軍略〉,そして〈軍法〉,雲気・日取り・方角の吉凶を占う〈軍配〉に分けられ,その奥義は軍配とされる。…
※「兵法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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