兼次村
はにしむら
親泊村の東に位置し、イリンシマー(西の島)のなかで唯一海岸線をもたない。方音ではハニーシ、あるいはカニシともいう。故地は集落の南側の標高約五〇メートルの石灰岩の台地上にあり、兼次古島遺跡とよばれ、貝塚時代中期―後期の土器・石斧・叩石類、また青磁器・褐釉陶器・鉄滓・獣骨・貝殻類などが採取されている。その後集落は下方に移動し、現在の集落を形成する。絵図郷村帳に「兼城村」とみえ、「琉球国由来記」に兼次村とあり、神アシアゲでの祭祀は中城(仲尾次)ノロの管轄。また同書に「兼次之御イベ」とみえ、今帰仁間切の中城巫崇所五ヵ所の一としてあげられる当地の御嶽は古島の西の崖上にある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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