日本歴史地名大系 「内之倉村」の解説 内之倉村うちのくらむら 鹿児島県:曾於郡志布志町内之倉村[現在地名]志布志町内之倉志布志郷帖(ちよう)村の北、鰐塚(わにつか)(南那珂)山地の南部にL字形に広がる。北部四浦(ようら)地区は山岳地帯で、東部八郎(はちろう)ヶ野(の)地区は起伏の激しいシラス台地、西部毛穴野(けなの)付近は比較的平坦なシラス台地が広がっている。北部を福島(ふくしま)川が南東流し、東部を志布志川(前川)、西部を安楽(あんらく)川が各々南西方へ流れる。東は日向高鍋藩領の日向国那珂(なか)郡一氏(いちうじ)村(現宮崎県串間市)、西は松山(まつやま)郷尾野見(おのみ)村(現松山町)。応永一七年(一四一〇)二月一八日の島津玄喜安堵状(旧記雑録)に「日向国内倉帖」とみえ、帖とともに由緒に任せて島津玄喜(久豊)から内倉豊前介に安堵された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by