志布志町(読み)しぶしちよう

日本歴史地名大系 「志布志町」の解説

志布志町
しぶしちよう

面積:一四一・五九平方キロ

県最東部、曾於郡東端に位置し、東は宮崎県串間市、北は同県都城市、西は末吉すえよし町・松山まつやま町・有明ありあけ町と接し、南は志布志湾に面する。東部および北部は標高四〇〇―六〇〇メートルの山岳地帯で、御在所ございしよ(五三〇・四メートル)笠祇かさぎ(四四四・二メートル)じん(三四九・三メートル)がそびえる。この山岳地帯は鰐塚わにつか(南那珂)山地の南端部にあたり、ここを水源とするまえ川・安楽あんらく川は南西に向かって流れ、西部に広がるシラス台地を浸食して志布志湾へと注ぐ。北東部を福島ふくしま川が南東へ流れる。南部の志布志湾沿いを国道二二〇号とJR日南線が走る。かつては都城方面と結ぶ国鉄志布志線、鹿屋かのや方面と結ぶ国鉄大隅線が走っていたが、昭和六二年(一九八七)廃止された。なお志布志という地名は、ひそかにこの地を訪れた天智天皇に宿の女性たちが手布を贈り、天皇がこれを賞したことにちなんだものだという(三国名勝図会)

町域にはとくに縄文時代の遺跡が多く、これらは山麓の台地上やその縁辺部に位置する。縄文時代草創期の遺跡には内之倉の東黒土田うちのくらのひがしくろつちだ遺跡があり、ちよう鎌石橋かまいしばし遺跡でも草創期の隆帯文土器や集石遺構が発見されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報