内侍原町(読み)なしはらちよう

日本歴史地名大系 「内侍原町」の解説

内侍原町
なしはらちよう

[現在地名]奈良市内侍原町

高天市たかまいち町の北、二条通に面する。「奈良曝」に「稲田の辻子と云有。町役三十五軒」「いにしへハ毎年両度の春日祭に、内侍所の勅使此町に宿し給ひしより町の名とす。又奈良の京の御時、内侍の官なりし人住給ひし跡なるによりて、かく町の名とすとも云」と記す。南都七郷の一つの穴口あなくち郷のうちに「内侍原」があり、中世は興福寺寺務の支配下にあった。「多聞院日記」によれば細川政元方の赤沢長経の大和入りでは十市・箸尾氏らが奈良防御にあたったが、永正四年(一五〇七)九月一五日には楢原氏が内侍原堂に陣取り、永禄一〇年(一五六七)五月二二日には二条郷・内侍原以下が焼払われている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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