内本町太郎左衛門町
うちほんまちたろうざえもんちよう
[現在地名]東区内本町二丁目
内骨屋町筋を境に内本町二丁目の東に延びる両側町。もと内本町下三丁のうちで、明暦元年(一六五五)の大坂三郷町絵図には太郎左衛門町、同年の水帳奥書写(安政三年「水帳」大阪大学蔵)には内本町太郎左衛門町とある。大坂三郷南組に属し、元禄一三年(一七〇〇)の三郷水帳寄帳では屋敷数一四・役数一九役で、うち年寄分・会所分各一役が無役。年寄は大和屋三郎兵衛。安政三年(一八五六)の水帳では屋敷数一三・役数一九役で、うち年寄分一役が無役。延享版「難波丸綱目」は関東筋問屋・伊勢志摩国問屋・紀伊国問屋・医師各一を記す。文化三年(一八〇六)増修改正摂州大阪地図には当町南側に升座が記される。大坂升座は享保一一年(一七二六)京都の福井作左衛門が備後町一丁目に出店を置いたのが初めで、のち当町に移転した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 