日本歴史地名大系 「内津峠」の解説 内津峠うつつとうげ 岐阜県:多治見市池田町屋村内津峠辛沢(からさわ)川上流部、現愛知県春日井(かすがい)市との間にある峠で、国道一九号の岐阜・愛知県境に位置する。標高二三三・三メートル。当峠を中心に南北に延びる小山脈中の最高峰弥勒(みろく)山(四二七メートル)が南にある。「尾張国熱田太神宮縁記」によれば、日本武尊が当地で副将軍建稲種命水死の報を聞き「あゝ現哉(うつつかな)現哉」と嘆き悲しんだことから内津の名がついたという。天正一二年(一五八四)四月、小牧・長久手の戦の際、徳川家康方に属した妻木頼忠は尾張に通ずる要路で、しかも展望のよくきく当峠に布陣、西麓の内津妙見宮(現春日井市内々神社)に戦勝を祈願した。この時の戦いで内津(現春日井市)の町屋は焼失し、内津妙見宮も類焼したという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by