多治見市(読み)タジミシ

デジタル大辞泉 「多治見市」の意味・読み・例文・類語

たじみ‐し〔たぢみ‐〕【多治見市】

多治見

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「多治見市」の解説

多治見市
たじみし

面積:七七・八六平方キロ

県南東部にあり、北は可児かに市、東は土岐市、南は土岐郡笠原かさはら町・愛知県瀬戸市、西は同県犬山市に接する。隆起準平原を土岐川が浸食した盆地を中心に、北部から東部・南部にかけてはなだらかな丘陵地が続き、西部は高社たかやしろ(四一六・六メートル)道樹どうじゆ(四二七・一メートル)赤薙あかなぎ(三八〇・六メートル)を連ねる比較的険しい山並。南部を北東から南西へ貫流する土岐川および支流高田たかた川下流部は旧土岐郡・可児郡の境。JR太多たいた根本ねもと駅北のまき峠の西側に続く山稜が土岐川支流大原おおはら川と可児川支流ひめ川の分水嶺をなす。土岐川支流としてほかに笠原川・市之倉いちのくら川・辛沢からさわ川・三の倉さんのくら川などがある。当市周辺丘陵地の上部層は瀬戸層群とよばれる新第三紀鮮新統の地層である。瀬戸層群の上部層は古木曾川の砂礫層で占められ、その下部に土岐口陶土層といわれる粘土層がみられる。この粘土層は木節粘土・蛙目粘土・白粘土などで占められ、この地方で大量に製造される陶磁器の原材料として古くから盛んに採掘された。当市は名古屋から三六キロに位置し、JR中央本線が土岐川沿いに走り、多治見駅でJR太多線が分岐するなど東濃交通の拠点で、さらに東西に走る国道一九号、北上する国道二四八号、市北部に中央高速道路が東西に走っており、中部経済圏の一翼を担う重要な位置にある。

〔原始・古代〕

丘陵地帯および段丘からは、先土器をはじめ縄文・弥生時代の遺物が多く出土している。西坂にしさか遺跡からは珪岩製による旧石器が多く発見され、県内でも最古の先土器遺跡であることが包含層の地質年代などから明らかにされた。虎渓山こけいざんE地点からは、細石器や尖頭器などが出土している。縄文遺跡として白山神社はくさんじんじや遺跡・平尾ひらお遺跡・大沢おおさわ遺跡・上山かみやま遺跡などがある。平尾遺跡では、弥生時代後期の住居跡が三ヵ所発見されている。土岐川流域の段丘面、支流の大原川流域、姫川流域に古墳が多く分布し、すべて後期古墳に属する。積石塚古墳の虎渓山一号古墳からは、多くの副葬品が出土した。なおこれまでに確認された二十数基の古墳のうち、大半は土地造成などにより消滅した。市域の大部分は可児郡に属し、土岐川以南と高田川下流の東部のみ土岐郡に属した。土岐川以北は「和名抄」可児郡池田いけだ郷に比定される。平安末期には池田郷の後に伊勢神宮領池田御厨が成立。

〔中世〕

市内の丘陵地の斜面に多くの古窯跡が散在し、至る所で陶片が発見される。これまでに発掘調査されたうちで市内で最も古い窯跡は須恵器を焼成した北丘きたおか四号窯・五号窯で、八世紀頃のものと推定される。


多治見市
たじみし

2006年1月23日:多治見市が土岐郡笠原町を編入
【多治見市】岐阜県
【笠原町】岐阜県:土岐郡

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「多治見市」の意味・わかりやすい解説

多治見〔市〕
たじみ

岐阜県南部,庄内川の上流土岐川沿いにある市。1940年市制。1944年小泉村,池田村の 2村,1951年市之倉村と笠原町(1952分立),1960年姫治村の一部をそれぞれ編入。2006年笠原町を編入。中世土岐氏の一族多治見氏の拠点として発展。良質の陶土を含む新第三紀層にあるため,古くから陶器製造が発達。安土桃山時代には名器を出し,美濃焼の名を高めた。中央本線開通後は付近の陶磁器の集散地も兼ね窯業都市として発展。大規模な陶磁器流通団地がある。市街地の多治見駅付近は陶磁器店が集中しており,多治見市美濃焼ミュージアムなどもある。虎渓山に建つ永保寺開山堂,観音堂は国宝,庭園は国指定名勝),古虎渓は有名。国道19号線,248号線が通り,中央自動車道のインターチェンジがある。面積 91.25km2(境界未定)。人口 10万6732(2020)。

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