池田宿(読み)いけだしゆく

日本歴史地名大系 「池田宿」の解説

池田宿
いけだしゆく

天竜川を渡る際の東海道宿駅で、平安末期には成立した。「源平盛衰記」巻二三に「池田宿」とみえ、源頼朝らを討伐のため京を発った平維盛軍は、治承四年(一一八〇)一〇月七日当宿に着いている。元暦元年(一一八四)三月、鎌倉に護送される途中の平重衡は当宿に着き、宿の長者熊野の娘侍従のもとに泊っている。侍従との間で和歌の贈答を行った重衡はその和歌に感心し、侍従の正体を聞いたところ、平宗盛遠江国国守であったとき京都に召した人で、当地に残した老母を気遣ってしきりに暇乞いをしたが許されず、この三月初めに帰国した海道一の名人であるとの答えであったという(「平家物語」巻一〇)。翌文治元年(一一八五)五月には同じく捕らえられた平宗盛が当宿に泊って侍従と和歌の贈答をし、翌朝天竜川を渡っている(「源平盛衰記」巻四五)。なお源頼朝の異母弟かば(現浜松市)生れの範頼は平治の乱で殺された源義朝と当宿の遊女との間に生れたという(尊卑分脈)。この後建久元年(一一九〇)一二月二一日には京都より鎌倉へ帰る途中の源頼朝(吾妻鏡)、貞応二年(一二二三)四月一二日には京より鎌倉へ下る途中の「海道記」の作者が当宿を通過している。

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百科事典マイペディア 「池田宿」の意味・わかりやすい解説

池田宿【いけだのしゅく】

遠江国にあった古代末期から中世の宿駅。現在の静岡県豊田(とよだ)町(現・磐田市)池田に比定される。山城国松尾神社(現京都市西京区の松尾大社)領池田荘の中心で,天竜川渡船場であるとともに,荘官の居住地であったとみられる。《吾妻鏡》建久1年(1190年)12月21日条によると,源頼朝が京都上洛の帰途に当宿に宿泊している。《平家物語》などの軍記物や《海道(かいどう)記》などの紀行文にその名がみえ,中世を通じての宿駅であったが,最も繁栄したのは平安末期から鎌倉期であった。遊女が多数いたことでも知られ,平宗盛(むねもり)と宿長者の娘熊野(ゆや)の物語は謡曲《熊野》で有名。源範頼(のりより)の母も当宿の遊女であったと伝える。かつては天竜川の西岸にあったが,河道の変化によって東岸に移転した。徳川家康は渡船場を重視し,渡守(わたしもり)に数々の特権を与えたが,近世に入って衰退した。江戸時代には遠江国豊田郡池田村となった。

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改訂新版 世界大百科事典 「池田宿」の意味・わかりやすい解説

池田宿 (いけだのしゅく)

遠江国の中世宿駅,近世東海道の天竜川渡船場。また松尾神社領池田荘の中心部で,荘官居住地でもあった。宿はもと川の西岸にあったが,河道の変化によって東岸に移動した。池田宿は中世を通じて紀行文や軍記物にみえるが,最も繁栄したのは平安末から鎌倉期で,平宗盛と宿長者の娘熊野(ゆや)の物語は,謡曲《熊野》で名高い。徳川家康は池田渡船場の船守に種々の特権を与えたが,近世には衰退した。現在,静岡県磐田市池田。
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