日本歴史地名大系 「池田町屋村」の解説 池田町屋村いけだまちやむら 岐阜県:多治見市池田町屋村[現在地名]多治見市池田町(いけだちよう)・月見町(つきみちよう)・富士見町(ふじみちよう)・太平町(たいへいちよう)・前畑町(まえばたちよう)多治見村の西にあり、南東を土岐川が流れる。辛沢(からかわ)川が東へ貫流し土岐川に合流する。下(した)街道が東西に走る。建久三年(一一九二)八月の伊勢神宮神主請文写(神宮文庫蔵)にみえる池田御厨の遺称地。慶長郷帳には池田村とみえ、平岡頼勝(徳野藩)領一千三五六石余、酒井平九郎(のち尾張藩給人)領一千石、酒井久三郎(同)領五〇〇石が記される。正保郷帳では池田村の田高一千六九一石余・畑高七一二石余・桑高四升余・山年貢一二石余。小川・松山・柴山・草野があり、支配領主ごとの高は尾張藩領一千石・徳野藩領一千三五六石余・永保(えいほう)寺領五九石余。このうち尾張藩領一千石分が明暦(一六五五―五八)頃までに当村・廿原(つづはら)村・三之倉(さんのくら)村・小木(おぎ)村に分村した。なお臼井本元禄郷帳にはこの四ヵ村のほか長瀬(ながせ)村・中之郷(なかのごう)村・野中(のなか)村・北(きた)村を含む八ヵ村の山高一五石余が記され、山高は北村の管理としている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by