内藤陽三(読み)ないとう ようぞう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内藤陽三」の解説

内藤陽三 ないとう-ようぞう

1860-1889 明治時代彫刻家
万延元年生まれ。明治15年皇居御造営事務局にはいり洋式建築の正殿模型の製作にあたる。16年宇都宮三郎にまねかれて愛知県常滑(とこなめ)に美術研究所を設立,粘土彫刻や石膏(せっこう)型の製法などをおしえる。19年ドイツに留学するが,病気のため帰国途中の明治22年5月13日死去。30歳。工部美術学校卒。号は鶴嶺。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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