内藤風虎(読み)ないとうふうこ

精選版 日本国語大辞典 「内藤風虎」の意味・読み・例文・類語

ないとう‐ふうこ【内藤風虎】

江戸前期の俳人歌人陸奥国(福島県)磐城平藩藩主。内藤左京亮、のち左京大夫。名は義概、晩年は義泰。別号、紫硯・風鈴軒など。「夜ノ錦」「信太ノ浮島」「桜川」の三部の俳諧撰集を編集し、「奥州名所百番発句合」「六百番俳諧発句合」などの句合わせも催している。歌道にも通じ「続類題」「義泰朝臣家集」の編著がある。元和五~貞享二年(一六一九‐八五

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朝日日本歴史人物事典 「内藤風虎」の解説

内藤風虎

没年:貞享2.9.19(1685.10.16)
生年:元和5(1619)
江戸初期の俳人,奥州磐城平(福島県いわき市)7万石の藩主。名は義概,晩年義泰と改めた。10歳代のころから和歌をたしなんだが,40歳代から俳諧に熱中,三十余巻にのぼる選集を編集し,たびたび大規模な発句合を主催。内藤家の江戸藩邸は,多くの俳人が出入りし俳諧サロンの様相を呈したが,無名時代の松尾芭蕉もこのサロンのメンバーに加えられている。延宝3(1675)年には西山宗因を江戸へ招くが,これが契機となって江戸に談林俳諧が流行するようになった。<参考文献>岡田利兵衛「内藤風虎」(『国語国文学』34巻4号)

(田中善信)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「内藤風虎」の意味・わかりやすい解説

内藤風虎
ないとうふうこ

[生]元和5(1619).9.15. 江戸
[没]貞享2(1685).9.19.
江戸時代前期の磐城平藩主,歌人,俳人。名,義概 (よしむね) ,のち義泰。風虎は俳号。別号,風鈴軒など。左京大夫。内藤露沾の父。重頼,宗因,玖也ら俳諧師と密な交遊があり,自身も俳諧をよくし,そのため平の俳諧は盛んとなった。俳書『夜の錦』 (1666) ,『桜川』 (74) ,『志太の浮島』の編があり,歌集に『義泰朝臣歌集』がある。蒐書に努め,その蔵書印「牘庫」は有名。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内藤風虎」の解説

内藤風虎 ないとう-ふうこ

内藤義概(ないとう-よしむね)

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367日誕生日大事典 「内藤風虎」の解説

内藤風虎 (ないとうふうこ)

生年月日:1619年9月15日
江戸時代前期の大名
1685年没

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