日本歴史地名大系 「冨田村」の解説 冨田村とだむら 宮崎県:都城市安久村冨田村村名はあるいは「とうだ」「つだ」とも読まれたか。近世成立の鬼束氏系図(鬼束文書)には応永年間(一三九四―一四二八)前後に生きた鬼束久次の項に、応永三二年中(なかん)郷西(にし)方冨田村七〇町三二村、目録は別にありと記される。このとき久次に宛行われたか、もしくは以前からの知行を安堵されたのであろう。同年には中郷西方の内検が行われ、鬼束文書中に同年の内検馬上取帳が二冊伝来している。取帳には、安久(やすひさ)・富山(とみやま)・木前(きのまえ)・早鈴(はやすず)・瀬口・姫木(ひめぎ)大道・和里木(わりき)・池平・後交(ごきゆう)・橋口(はしぐち)・田部(たべ)・北田部(きたたべ)・西別符(にしべつぷ)・永田・大薗(おおぞの)・温水(ぬくみず)などの地名・人名がみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by