日本歴史地名大系 「安久村」の解説
安久村
やすひさむら
- 宮崎県:都城市
- 安久村
応安八年(一三七五)三月二三日、島津氏久は富山彦五郎義弘からの申出に基づき、旧領である島津庄日向方の「中郷富山・安久名」等の知行安堵を室町幕府に取次いでいる(「島津氏久挙状写」志々目文書)。当地の鬼束家に伝わった応永三二年(一四二五)の中郷西方本田市王丸内検馬上取帳(鬼束文書)には、安久・南安久・安久名・安久河元などにある土地がみえるほか、篠原田三〇には「八木給 安久帳ニ有之」の注記がある。ここから安久には独自の別の年貢の取帳があったことがわかる。なおこの取帳には樺山氏らの土地集積による内容の変更などが記載されており、北郷氏らの関与のもとに作成されたものであったと推定される。また鬼束氏系図(同文書)によれば、鬼束義綱は明応七年(一四九八)一〇月石原門一町三反を宛行われたか安堵されたらしく、その目録は別にあるとみえる。
安久村
やすひさむら
安久村
やすひさむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報