冬野古瓦窯跡(読み)ふゆのこがようあと

日本歴史地名大系 「冬野古瓦窯跡」の解説

冬野古瓦窯跡
ふゆのこがようあと

[現在地名]塩田町大字久間字冬野

杵島きしま山の一峰である標高三四〇メートルの白岩しろいわ山の西山麓、二〇メートル余りの地点に所在する。所在地の字名を用いて冬野古瓦窯跡と称しているが、大正一四年(一九二五)頃までは「高麗こうらい瓦の窯跡」と称されていた。平安時代前期と推定される。

発見された時期は明らかでないが、遅くとも大正年間には地元の人々に知られていた。発掘調査が実施されたことはないが、概要については、「冬野瓦窯址」(「佐賀県史蹟名勝天然紀念物調査報告」第七輯・昭和一五年)がある。

窯跡の大半かあるいは焚口の部分は、貯水池構築の際破壊されたと思われるが、幅一・二メートル、高さ一メートル余りのトンネル式登窯ではないかと推定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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