出原村(読み)いずはらむら

日本歴史地名大系 「出原村」の解説

出原村
いずはらむら

[現在地名]木頭村出原

那賀川上流両岸の山間部に位置し、東は海川かいかわ(現上那賀町)と接する。海部かいふ郡木頭村の枝村で木頭上山きとうかみやま村に含まれる。寛永五年(一六二八)木頭上山村検地帳(木頭村誌)には出原村が書上げられ高九二石余、田六町六反余・畑三町八反余・伐畑三町一反余、茶園九八七坪、漆一一七本、かじ二九一株。正保国絵図では「木頭之内出原村」とある。寛文四年(一六六四)の郷村高辻帳にも木頭村の項に枝村として村名がみえる。宝永四年(一七〇七)の伐畑検地帳(木頭村誌)では、伐畑一〇町二反余・高二石余。


出原村
いでわらむら

[現在地名]杵築市相原あいわらなか

日出藩領八坂やさか村のうち友清ともきよ村・熊丸くままる村と八坂川を隔て、その南方にある村。低地および北向きの斜面が中で幕府領中村、山の台地状の土地が相原で日出藩領である。幕府領は生桑いくわ村と称する。康永三年(一三四四)七月六日の秋吉忠氏等連署四至堺定文写(秋吉文書)に「八坂下庄内中村与井斗原与萩原荒野堺之事」とある。小倉藩元和人畜改帳に井斗原村とみえ、高八〇石余、家数一一・人数四八(うち百姓九・名子一)、牛一〇・馬三とある。


出原村
いずはらむら

[現在地名]高森町出原

現高森町の中央部に位置する。

天正一九年(一五九一)の信州伊奈青表紙之縄帳(佐々木忠綱氏蔵)では、「伊豆原」の字があてられている。元亀三年(一五七二)頃のものと推定される市田之郷伝馬之衆書上げ(関川文書)に、「いつ原 孫四郎」とあるのが初見である。村高は正保四年(一六四七)が一五七石余(信濃国絵図高辻)、天保五年(一八三四)に二一九石余(信濃国郷帳)であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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