出川村
いでがわむら
大館盆地の南西端、引欠川流域に位置する。天正一九年(一五九一)の出羽国秋田郡知行目録写(秋田家文書)に「弐百拾九石八斗弐升三合 出河村 杉沢村」とある。天正末期、浅利氏衰退後秋田実季領となったが、比内地方の回復を主張する浅利氏と抗争が続き、慶長二年(一五九七)の浅利頼平領内村数覚書(秋田家文書)には「出河村 畠 家前ハ七ツ 今なし」とある。中世後期を通じ「出河」と記されるが、江戸時代後期の「秋田風土記」には井出川ともある。
江戸期になって新田開発が進行、大館佐竹文書(県立秋田図書館蔵)によれば、寛永三年(一六二六)には大館城代も村内の一部を開田した。享保一四年(一七二九)の本田並・新田は全田地の九割を占めていた(「黒印高帳」秋田県庁蔵)。
出川村
てがわむら
[現在地名]春日井市出川町
上大富村・下大富村の北にあり、北西端を内津川が流れる。円福寺寄進田帳(円福寺蔵)に
<資料は省略されています>
とあり、出川の地名がみえ、文明一八年(一四八六)の頃と考えられる。同史料には「手川」という表記もある。「尾張国地名考」に「往昔は伊伝川と呼今は伊を去て天を清り、此むらの中央平地の所より清水湧出て常に絶えず田井の用水一村に溢れて余沢隣村におよぶ此故に出川のありといふ」とあり、大清水とよぶ小字名がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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