出沼村(読み)いでぬまむら

日本歴史地名大系 「出沼村」の解説

出沼村
いでぬまむら

[現在地名]多古町出沼

檜木ひのき村の北東に位置する。慶長四年(一五九九)鳥居元忠による検地が行われ、高一九七石(「部冊帳」伊能家文書)。寛文四年(一六六四)の松平忠勝領知目録(寛文朱印留)に村名がみえ、佐貫藩領。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分によると高二三六石余、旗本長谷川・山岡・伏見領。幕末まで同じ三給。


出沼村
いでぬまむら

[現在地名]玉造町西蓮寺さいれんじ

霞ヶ浦沿岸にあり、北は手賀てが村。慶長七年(一六〇二)の出沼村検地帳(茨城県歴史館蔵)に「田畠家敷都合十四町壱反弐畝九歩」とある。江戸時代は麻生藩領で(寛文朱印留)、寛永八年(一六三一)の出沼西蓮寺水帳(茨城県歴史館蔵)に上田一三町余・中田一町余・下田一四町余、上畑一町余・中畑三町余・下畑一一町余、屋敷一町余、合せて五六五石余とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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