鳥居元忠(読み)トリイモトタダ

精選版 日本国語大辞典 「鳥居元忠」の意味・読み・例文・類語

とりい‐もとただ【鳥居元忠】

  1. 安土桃山時代の武将。徳川譜代の臣。通称彦右衛門幼時から家康に仕え、のち下総矢作四万石。関ケ原戦で伏見城留守役となって豊臣方に囲まれ、自刃。天文八~慶長五年(一五三九‐一六〇〇

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鳥居元忠」の意味・わかりやすい解説

鳥居元忠
とりいもとただ
(1539―1600)

安土(あづち)桃山時代の武将。通称彦右衛門(ひこえもん)。松平氏の家臣鳥居忠吉の子として生まれ、幼少より徳川家康の側近として仕えた。姉川(あねがわ)の戦いに先駆けしたのをはじめ、各地に転戦して戦功を重ね、三方ヶ原(みかたがはら)の戦いには負傷して片方の足が不自由になったと伝えられる。1582年(天正10)北条氏勝(うじかつ)を甲斐(かい)に破り、甲斐郡内(ぐんない)地方において領地を与えられ城持(しろもち)衆の1人として一手を預かった。その後は、徳川氏の武将として先手(さきて)を勤め、1590年の小田原攻めでは相模(さがみ)の築井(つくい)城(神奈川県相模原(さがみはら)市緑(みどり)区)、武蔵(むさし)の岩槻(いわつき)城(埼玉県)を攻め下し、功により下総(しもうさ)国矢作(やはぎ)(千葉市)で4万石を与えられた。1600年(慶長5)関ヶ原の戦いに際し、伏見(ふしみ)城を守ったが、豊臣(とよとみ)方の包囲にあい落城、戦死した。

[佐々悦久]

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改訂新版 世界大百科事典 「鳥居元忠」の意味・わかりやすい解説

鳥居元忠 (とりいもとただ)
生没年:1539-1600(天文8-慶長5)

徳川家康の重臣。通称彦右衛門。三河国渡河内に生まれる。今川氏の人質となって駿府に在住中の家康に近侍した。徳川氏の5ヵ国領有時,旗本一手の将として軍功があり,武田氏滅亡後,甲州郡内の地を与えられ,関東入部のとき下総国矢作(やはぎ)4万石を領した。豊臣秀吉の執奏による官位授与を徳川氏譜代を理由に固辞したという。関ヶ原の戦のとき,伏見城を守り壮烈な戦死をとげた。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鳥居元忠」の解説

鳥居元忠 とりい-もとただ

1539-1600 戦国-織豊時代の武将。
天文(てんぶん)8年生まれ。鳥居忠吉(ただよし)の子。徳川家康につかえ,姉川の戦い,三方原の戦い,長篠(ながしの)の戦いなどで功をたてる。天正(てんしょう)18年家康の関東入国にあたり,下総(しもうさ)矢作(やはぎ)(千葉県)城主となる。関ケ原の戦いに際して伏見城の留守をまもるが,西軍の攻撃により慶長5年8月1日戦死。62歳。通称は彦右衛門。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鳥居元忠」の意味・わかりやすい解説

鳥居元忠
とりいもとただ

[生]天文8(1539).三河
[没]慶長5(1600).8.1. 伏見
安土桃山時代の武将。徳川家康の家臣。忠吉の子。彦右衛門と称した。天正 10 (1582) 年甲斐,信濃両国の鎮撫に尽力し,同 18年家康の関東入封に伴って下総国矢作 (やはぎ) 城主となり,4万石を領した。慶長5 (1600) 年家康の上杉討伐の際,特に伏見城の留守居を命じられ,石田三成に攻められ戦死。

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