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鳥居元忠 とりいもとただ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

鳥居元忠
とりいもとただ

[生]天文8(1539).三河
[没]慶長5(1600).8.1. 伏見
安土桃山時代の武将。徳川家康家臣忠吉の子。彦右衛門と称した。天正 10 (1582) 年甲斐,信濃両国の鎮撫に尽力し,同 18年家康の関東入封に伴って下総国矢作 (やはぎ) 城主となり,4万石を領した。慶長5 (1600) 年家康の上杉討伐の際,特に伏見城留守居を命じられ,石田三成に攻められ戦死

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

鳥居元忠 とりい-もとただ

1539-1600 戦国-織豊時代の武将。
天文(てんぶん)8年生まれ。鳥居忠吉(ただよし)の子。徳川家康につかえ,姉川の戦い,三方原の戦い,長篠(ながしの)の戦いなどで功をたてる。天正(てんしょう)18年家康の関東入国にあたり,下総(しもうさ)矢作(やはぎ)(千葉県)城主となる。関ケ原の戦いに際して伏見城の留守をまもるが,西軍の攻撃により慶長5年8月1日戦死。62歳。通称は彦右衛門。

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朝日日本歴史人物事典の解説

鳥居元忠

没年:慶長5.8.1(1600.9.8)
生年:天文8(1539)
戦国・安土桃山時代の武将。徳川家康の臣。通称は彦右衛門尉。鳥居忠吉の次男。天文20(1551)年駿河今川氏の人質となっていた松平竹千代(徳川家康)のもとに赴き,仕える。永禄1(1558)年家康の初陣以来,同3年の大高城兵糧入れ,同12年遠江掛川城攻略,元亀1(1570)年姉川の戦,同3年三方原の戦,天正3(1575)年長篠の戦・諏訪原城攻めなど所々の戦に従い,多くの戦功を挙げた。天正10年本能寺の変後,小田原北条氏の武将北条氏勝の軍を破り,その功によって甲斐郡内の地を与えられた。同12年小牧・長久手の戦では甲斐の守りを固めた。同14年家康に供奉して上洛。このとき豊臣秀吉の推挙によって,家康の臣で諸大夫となるものがあった。元忠も叙任を勧められたが,徳川氏の臣であるとして固辞した。同18年小田原の役には特に武蔵岩槻城攻めに功をたて,秀吉から感状を与えられた。家康の関東入国に際して,下総矢作(佐原市)4万石に封ぜられる。慶長5(1600)年関ケ原の戦には,伏見城の留守居となる。7月25日に始まった石田三成らの猛攻を,1800人余で防いだが,8月1日ついに落城し,討死した。その生涯は,家康への忠誠で一貫しており,忠臣の典型と目されている。<参考文献>和田兼三郎『鳥居元忠』(私家版),中村孝也『家康の臣僚 武将篇』

(平野明夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

とりいもとただ【鳥居元忠】

1539‐1600(天文8‐慶長5)
徳川家康の重臣。通称彦右衛門。三河国渡河内に生まれる。今川氏の人質となって駿府に在住中の家康に近侍した。徳川氏の5ヵ国領有時,旗本一手の将として軍功があり,武田氏滅亡後,甲州郡内の地を与えられ,関東入部のとき下総国矢作(やはぎ)4万石を領した。豊臣秀吉の執奏による官位授与を徳川氏譜代を理由に固辞したという。関ヶ原の戦のとき,伏見城を守り壮烈な戦死をとげた。【煎本 増夫】

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大辞林 第三版の解説

とりいもとただ【鳥居元忠】

1539~1600) 安土桃山時代の武将。徳川家康の家臣。姉川・三方ヶ原・長篠の戦いで功をあげ、下総しもうさ国矢作やはぎ四万石を領した。関ヶ原の戦いで伏見城の守将となり、落城して戦死。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

鳥居元忠
とりいもとただ
(1539―1600)

安土(あづち)桃山時代の武将。通称彦右衛門(ひこえもん)。松平氏の家臣鳥居忠吉の子として生まれ、幼少より徳川家康の側近として仕えた。姉川(あねがわ)の戦いに先駆けしたのをはじめ、各地に転戦して戦功を重ね、三方ヶ原(みかたがはら)の戦いには負傷して片方の足が不自由になったと伝えられる。1582年(天正10)北条氏勝(うじかつ)を甲斐(かい)に破り、甲斐郡内(ぐんない)地方において領地を与えられ城持(しろもち)衆の1人として一手を預かった。その後は、徳川氏の武将として先手(さきて)を勤め、1590年の小田原攻めでは相模(さがみ)の築井(つくい)城(神奈川県相模原(さがみはら)市緑(みどり)区)、武蔵(むさし)の岩槻(いわつき)城(埼玉県)を攻め下し、功により下総(しもうさ)国矢作(やはぎ)(千葉市)で4万石を与えられた。1600年(慶長5)関ヶ原の戦いに際し、伏見(ふしみ)城を守ったが、豊臣(とよとみ)方の包囲にあい落城、戦死した。[佐々悦久]

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