函青くに子(読み)カンセイ クニコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「函青くに子」の解説

函青 くに子
カンセイ クニコ


職業
民謡歌手

本名
小野 エツ

生年月日
明治34年 1月15日

出生地
青森県 弘前市

経歴
22歳のころ、目を患って失明。以来、家にこもって蓄音機で民謡を聴くことが唯一の趣味となったが、やがて自ら民謡を口ずさみ、舞台に立つようになる。そして北海道、東北を巡業するうち美声が評判となって、昭和2年ニツポノホン(コロムビアレコード)から「江差追分」のレコードを出した。これが契機でレコード、ラジオで活躍するようになり、6年にコロムビアから発表された「塩釜小原節」は藤原義江とコロムビアの売り上げを二分したといわれたほど。その後、自ら一座を結成して全国を巡業、戦後も民謡界で活躍したが、30年に声が出なくなったため、54歳で引退

没年月日
昭和59年 12月9日 (1984年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「函青くに子」の解説

函青 くに子
カンセイ クニコ

大正・昭和期の民謡歌手



生年
明治34(1901)年1月15日

没年
昭和59(1984)年12月9日

出生地
青森県弘前市

本名
小野 エツ

経歴
22歳のころ、目を患って失明。以来、家にこもって蓄音機で民謡を聴くことが唯一の趣味となったが、やがて自ら民謡を口ずさみ、舞台に立つようになる。そして北海道、東北を巡業するうち美声が評判となって、昭和2年ニツポノホン(現・コロムビアレコード)から「江差追分」のレコードを出した。これが契機でレコード、ラジオで活躍するようになり、6年にコロムビアから発表された「塩釜小原節」は藤原義江さんとコロムビアの売り上げを二分したといわれたほど。その後、自ら一座を結成して全国を巡業、戦後も民謡界で活躍したが、30年に声が出なくなったため、54歳で引退。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「函青くに子」の解説

函青くに子 かんせい-くにこ

1901-1984 昭和時代の民謡歌手。
明治34年1月15日生まれ。22歳ごろ失明し,レコードで民謡をおぼえた。昭和2年「江差追分」のレコードをだす。6年「塩釜小原節」が大ヒットした。のち一座を結成し全国をめぐるが,声帯をいためて30年引退。昭和59年12月9日死去。83歳。青森県出身。本名は小野エツ。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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