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江差追分 エサシオイワケ

デジタル大辞泉の解説

えさし‐おいわけ〔‐おひわけ〕【江差追分】

北海道の民謡で、江差地方の座敷歌。信濃追分越後から船乗りなどによって伝えられ、変化したものという。松前追分

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

江差追分

日本を代表する民謡の一つで、北海道指定無形民俗文化財。源流は信州で生まれた馬子唄と言われる。それが越後に伝わり、北前船の船頭らによって道内にもたらされたとされる。1935年に江差町長を会長とする江差追分会が発足。同会が63年から毎年、全国大会を開催している。初回の出場者は77人だったが、今年は439人が出場する予定だ。

(2012-09-19 朝日新聞 朝刊 北海道総合)

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大辞林 第三版の解説

えさしおいわけ【江差追分】

北海道江差町の民謡で、花柳界のお座敷唄。信州の「追分節」が、越後を経て、瞽女ごぜや船乗りによりもたらされたもの。松前追分。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

江差追分
えさしおいわけ

民謡の曲名。北海道江差町の人たちが酒席で歌ってきたもの。『松前追分』ともいう。その源流は、長野県軽井沢町追分に端を発する酒席の騒ぎ唄(うた)で、のちに新潟市の港町の花柳界を経由して海路北海道へ持ち込まれたものであるが、これには2種類の用いられ方があった。一つは、新地とよばれる高級料亭街で、芸者衆がお座敷唄として三味線の伴奏をつけて歌ったもの。もう一つは、浜小屋とよばれる下級飲食店を中心にして、「ヤン衆」や下級船員たちが「投節(なげぶし)」的に、野外などで歩きながら無伴奏で歌ったりしたもの。ところが交通の中心が鉄道に移り、ニシン漁も北の海へ移ると江差は廃れ始めた。そこで1911年(明治44)かつての江差の繁栄を示すものとして『江差追分』の保存運動がおこり、詰木石(づみきいし)町のそば屋久保田リセ宅で「研究会」が旗上げした。ところがこのころから『江差追分』は新地芸者が減ったこともあって、「浜小屋節」一色になり、伴奏楽器も三味線から尺八にかわって、今日の形に整えられ、さらに三浦為七郎の出現で、大正初めに今日の形式が完成した。[竹内 勉]

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