日本大百科全書(ニッポニカ) 「分郷」の意味・わかりやすい解説
分郷(ぶんごう)
ぶんごう
「わけごう」ともいう。江戸時代、村落の分村を別に分郷ともいうが、正しくは知行割(ちぎょうわり)に際して村が複数の領主に分割されること。こうした知行形態を相給(あいきゅう)、分給(ぶんきゅう)、また領主の数により二給、三給などと称し、村が相給、分給に分割されるのが分郷である。江戸幕府の場合、1633年(寛永10)、1697年(元禄10)に広範な地方直(じかたなお)しを実施するが、これにより関東地方や中部地方の多くの村々が分郷となった。分郷には田畑、屋敷などが対象となるが、その基準は村高に対する知行高の比によって分割される。たとえば村高100石の村がA領主70石(村高の比率70%)、B領主30石(村高の比率30%)に分郷した場合、上田(じょうでん)(畑)とか中田(畑)等々各等級の田畑から屋敷なども70%、30%の割合で分割される。
[神﨑彰利]