刈敷村(読み)かりしきむら

日本歴史地名大系 「刈敷村」の解説

刈敷村
かりしきむら

[現在地名]志波姫町 刈敷・新治郎しんじろうなど

沼崎ぬまざき村の北および北東にかけての一帯一迫いちはさま右岸、同川と二迫にのはさま川との合流河川の右岸、および同川と三迫さんのはさま川の合流域(この下流より迫川となる)右岸側まで集落は延びる。南東方は梅崎うめざき村、東は伊豆野新町いずのしんまち村。村名は古く深い谷地に竹・柴などを刈敷いて通路にしたことによるという。嘉元三年(一三〇五)閏一二月一二日の関東下知状(朽木文書)に刈敷郷とみえ、永仁元年(一二九三)頃隣郷板崎いたがさき郷との境で相論が起きた。当郷地頭職を父の狩野為蓮より譲られていた藤原為行は、兄弟の板崎郷地頭尼心妙(文殊)により作稲を刈取ったとして訴えられたが、双方で作製した絵図の境が同一であったことなどから、郷村境はそれに従うよう裁決されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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