利倉庄(読み)とくらのしよう

日本歴史地名大系 「利倉庄」の解説

利倉庄
とくらのしよう

豊島てしま郡の猪名いな川下流域、近世の利倉村域に比定される院領。平治元年(一一五九)太政官鳥羽上皇の菩提所である安楽寿あんらくじゆ(現京都市伏見区)に、官使や検非違使等の闖入と勅院事大小国役の停止を伝えた同院領一〇ヵ庄中に庄名がみえ、上皇の妃美福門院(藤原得子)から同年七月二〇日に寄進されたものである(同年九月二九日「太政官牒案」安楽寿院古文書)。鎌倉期のものと推測される安楽寿院領諸庄園所済注文案(同文書)には、立券は久寿二年(一一五五)三月一一日とあり、出家した鳥羽院が美福門院に所領を譲ったのは永治元年(一一四一)であるから、当庄は美福門院領として設立されたのであろう。同注文案には領家は介大夫入道岡伊賀前司とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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