安楽寿院(読み)あんらくじゅいん

精選版 日本国語大辞典 「安楽寿院」の意味・読み・例文・類語

あんらくじゅ‐いん‥ヰン【安楽寿院】

  1. 京都市伏見区竹田内畑町にある真言宗智山派の寺。保延三年(一一三七鳥羽法皇離宮を寺にしたもので、のち遺骨を葬る。本尊は胸に卍(まんじ)文をもつ阿彌陀如来坐像(国重要文化財)。成菩提院(じょうぼだいいん)

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日本歴史地名大系 「安楽寿院」の解説

安楽寿院
あんらくじゆいん

[現在地名]伏見区竹田内畑町

鳥羽天皇陵の東、近衛天皇陵の北に位置する。真言宗智山派。かつて安楽寿院の新御塔に付属していた六子院の一つ前松ぜんしよう院が、慶長年間(一五九六―一六一五)安楽寿院として再興されたもの。本尊木造阿弥陀如来坐像(国指定重要文化財)は保延三年(一一三七)安楽寿院創建時の作と伝える。

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔草創・堂宇の整備〕

当初の安楽寿院は、鳥羽上皇御願により鳥羽とば東殿の地に創建された御堂で、堂内には阿弥陀三尊が安置されていた(鳥羽新御堂供養願文・中右記・百錬抄)。次いで保延五年二月二二日、藤原家成造進の三重塔が落慶供養、塔内には同じく阿弥陀如来が安置されて「五智之壇場」とされ、またこの日より法華三昧の僧が置かれている(表白集・百錬抄)。この三昧僧房舎は御塔の北に六院があった。また当院には付属の御所が新造されたようで、「台記」久安元年(一一四五)一二月一七日条に「去夜渡御東御所日来御新造桟敷御所即参件御所、件御所御堂也、(中略)此御所御堂御所歟、(中略)抑安楽寿院者、法皇終焉之地也、是故渡御云々、其東有塔、没後可置件塔、而春節、王相在東、仍去夜、為方違、御其塔北三昧僧房、今旦、渡御安楽寿院御所云々」とある。おそらく創建当初からここが終焉の地と考えられて、白河法皇の成菩提じようぼだい(現伏見区)と三層の墓所塔の例に倣って、安楽寿院と三重塔が建造されたのであろう。鳥羽法皇は保元元年(一一五六)七月二日安楽寿院で没し、同御塔に葬され山陵に擬されている(兵範記・百錬抄)

このほか「百錬抄」久安三年八月一一日条に「鳥羽新御堂供養在安楽寿院南、九体阿弥陀堂、行幸」とあり、九体阿弥陀堂も造建されている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「安楽寿院」の意味・わかりやすい解説

安楽寿院
あんらくじゅいん

京都市伏見区竹田内畑町にある真言宗智山(ちさん)派に属する寺。1137年(保延3)、鳥羽(とば)天皇の念持仏である卍阿弥陀(まんじあみだ)仏を本尊とし、覚行法親王を導師に創建された。盛時は荘厳な堂塔伽藍(がらん)が軒を連ねていたが、相次ぐ兵乱、火災などにあい、現在は往時の壮観はないが、境内に鳥羽(とば)、近衛(このえ)両天皇御陵、少し離れて白河(しらかわ)天皇御陵があり、盛時のようすがうかがえる。寺宝に、石造五輪塔、石造三如来像、仏画の『孔雀明王(くじゃくみょうおう)図』『普賢菩薩(ふげんぼさつ)図』『二十五菩薩来迎(らいごう)図』など国の重要文化財、重要美術品が多い。

[眞柴弘宗]

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世界大百科事典(旧版)内の安楽寿院の言及

【鳥羽殿】より

…そして没時の在所三条室町殿西対を鳥羽殿東殿へ移築し,九躰阿弥陀堂につくりかえ成菩提院(じようぼだいいん)と名づけ,三重塔の拝所にあてた。鳥羽法皇は鳥羽殿北殿に36年(保延2)宇治平等院鳳凰堂を模した勝光明院(しようこうみよういん)御堂を造立し,東殿には37年に安楽寿院(あんらくじゆいん)九躰阿弥陀堂,39年に三重塔,40年に炎魔天堂と美福門院塔を造立した。47年(久安3)に安楽寿院の南に新御堂(九躰阿弥陀堂),54年(久寿1)には二階九間四面阿弥陀堂と二階三間四面釈迦堂からなる金剛心院(こんごうしんいん)を田中殿南に造立した。…

※「安楽寿院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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