到津庄(読み)いとうづのしよう

日本歴史地名大系 「到津庄」の解説

到津庄
いとうづのしよう

現小倉北区到津を中心に同区西部から八幡東やはたひがし区にわたる地域に比定される。宇佐宮庄園「本御庄十八箇所」の一つ。「宇佐大鏡」によると、寛弘四年(一〇〇七)四月一五日に国司宗岳朝臣為成の関与のもと規矩きく郡内に散在する宇佐宮の御封田一八二町八段余を公領と相博、到津を中心として田数一三〇町・用作一町の庄園として立券。当時の四至は「東限古駅岳并大路 南限高坏山 西限筑前遠賀堺 北限海」であった。建久八年(一一九七)の豊前国図田帳写(到津文書/鎌倉遺文二)に到津庄二〇〇町とみえ、宇佐宮に「荘立用三石 万灯会料」を納めたという。宇佐宮神領次第案(同文書/大分県史料三〇)に引用された仁治二年(一二四一)の散田帳には到津庄一二三町とあり、一六世紀初頭には定田九五町が段銭賦課の対象となっている(永正二年六月八日「到津庄段銭注文」清末文書/豊前国到津荘・津布佐荘史料(九州荘園史料叢書))。当庄はかみ郷・しも郷・原蓮郷・高月たかつき郷・中村郷・郡領ぐんりよう分といった郷、清末きよすえ名・国安名・貞清名・太郎丸名・二郎丸名・三郎丸名・則房名・上福丸名・貞国名・定弘名・行弘名・清宗名・宗包むねかね名・末貞名・末宗名・吉弘名・国重名・宗助そうすけ名・鶴土つるつち名といった名で構成された(「浮免分皆免銭等書出」同上など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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