知恵蔵 「前田健太」の解説
前田健太
小学校3年生の時に野球を始め、地元の強豪チームである岸和田イーグレッツに所属。中学時代は忠岡ボーイズでプレーした。高校はPL学園へ進学。高校1年の夏は背番号11をつけてベンチ入りし、チームは大阪府大会決勝へ進出。大阪桐蔭高校との決勝戦は延長15回の末に4対4の引き分けとなる(前田はこの試合に登板はしていない)。再試合となった翌日の試合に前田は先発して完投。13対7で見事に勝利し、甲子園出場を決めた。甲子園では初戦で、日大三高に敗れている。高校3年生の時には、エースで4番として春のセンバツ甲子園大会に出場。ベスト4に進んでいる。2006年秋の高校生ドラフト会議で、広島からドラフト1巡目で指名されて入団。プロ野球選手となった。背番号は34。
プロ1年目の07年は1軍での出場はなかったものの、オフには球団から大きな期待を寄せられて背番号18を譲り受けている。エースナンバーを背負った2年目に、先発ローテーション入りを果たして9勝をマーク。3年目は8勝を挙げた。そして4年目の10年には15勝をマークして最多勝利、2.21で最優秀防御率、174個で最多奪三振のタイトルを獲得。沢村賞も受賞し、チームのみならずリーグを代表するエースとなる。11年も2桁の10勝を挙げ、192個で2年連続となる最多奪三振のタイトルを手にした。翌12年は4月6日のDeNA戦で、史上74人目(85度目)のノーヒットノーランを達成。14勝を挙げて3年連続の2桁勝利をマークし、1.53で2年ぶりに最優秀防御率のタイトルを獲得している。13年は15勝を挙げて4年連続の2桁勝利を達成し、2.10で2年連続3度目の最優秀防御率のタイトルを手にした。なおシーズン前に日本代表メンバーとして第3回ワールドベースボールクラシック(WBC)に出場。チームは準決勝で敗退したが、3試合に先発して2勝1敗、15イニングで1失点の防御率0.60という成績でベストナインに選出されている。14年は11勝で、5年連続となる2桁勝利をマーク。そして15年は15勝を挙げて6年連続の2桁勝利をマークすると共に、5年ぶりとなる最多勝利のタイトルを獲得。また、同じく5年ぶりに沢村賞を手にした。オフに前田はアメリカメジャーリーグへの移籍希望を球団に伝え、12月4日に広島球団もそれを容認。15年12月現在、ポスティングシステムによる申請を行っている。
ゆったりとしたモーションで始動し、体の近くで柔らかく腕を振る。ボールを離すギリギリまで体が開かず、球持ちが良くて打者に近いところでリリースするフォームをしている。ストレートは常時140キロ台半ばのスピードがあり、キレのあるスライダーとツーシーム、大きく曲がるカーブ、落差のあるチェンジアップを織り交ぜるピッチングを見せる。特にカーブはいったん大きく浮き上がり、そこからドロンと縦に曲がり落ちるように変化する110キロ程度の遅いボールなので、打者の目線をいったん上げると共に、他の球種とのスピードの差でタイミングを崩すことのできる特徴がある。プロ9年間の通算成績は、218試合に登板して97勝67敗、防御率2.39、奪三振1233。
(場野守泰 ライター/2015年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報