広島東洋カープ(読み)ひろしまとうようかーぷ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「広島東洋カープ」の意味・わかりやすい解説

広島東洋カープ
ひろしまとうようかーぷ

日本のプロ野球球団。セントラル・リーグ(セ・リーグ)所属。欧文表記はHiroshima Toyo Carp。フランチャイズを広島県に置き、広島市民球場を本拠地としている。球団名の変遷は、広島カープ(1950年)―広島東洋カープ(1968年)。

 2リーグ分立の1950年(昭和25)に発足したが、長い間、下位低迷した。1960年代後半から登場した投打主力、ノーヒットノーランを3回達成した外木場義郎(そとこばよしろう)(1945― )、2215試合連続出場の金字塔を打ち立てた「鉄人衣笠祥雄(きぬがささちお)、4回本塁打王に輝いた山本浩二らが1970年代に入って本格的に才能を開花させ、1975年、シーズン途中から指揮をとった古葉竹識(こばたけし)(1936―2021)監督の下に球団史上初のリーグ優勝を果たした。さらに、抜群の制球力を誇った北別府学(きたべっぷまなぶ)(1957―2023)や、俊足好打の高橋慶彦(よしひこ)(1957― )ら若い力が加わり、1979年と1980年にも連続リーグ優勝。両年とも日本シリーズで近鉄バファローズを下して日本一となり、赤いヘルメットが塁間をかけめぐる姿から「赤ヘル旋風」といわれた。主力が円熟期を迎えた1984年にも阪急ブレーブス(現、オリックス・バファローズ)を破り3回目の日本一。1986年にもリーグ優勝して日本シリーズでは西武ライオンズ(現、埼玉西武ライオンズ)と対戦し、引分け1を含め8試合を行う激戦となったが、日本一は逃した。この年限りで山本が引退し、翌1987年には衣笠も引退した。その後、野村謙二郎(1966― )、江藤智(あきら)(1970― )、前田智徳(とものり)(1971― )ら好打者が続々と台頭し、1989年(平成1)に就任した山本浩二監督3年目の1991年にリーグ優勝。しかし日本シリーズではまたも西武に敗れた。それ以降は、1995年の2位を最高に低迷、1998年から2007年(平成19)まで4位以下が続いた。12球団中唯一、親会社をもたない純粋な市民球団であるがために資金的な問題があり、戦力の維持・補強の面などにおいて他球団にない側面を有している。

[山下 健]

 2007年までの通算成績は、3515勝3859敗296分け、リーグ優勝6回、日本シリーズ優勝3回。

[編集部]

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