キェシロフスキ(読み)きぇしろふすき(その他表記)Krzysztof Kieslowski

日本大百科全書(ニッポニカ) 「キェシロフスキ」の意味・わかりやすい解説

キェシロフスキ
きぇしろふすき
Krzysztof Kieslowski
(1941―1996)

ポーランド映画監督ワルシャワ生まれ。父親が結核を患(わずら)っていたため、家族とともに各地のサナトリウムを転々とする少年時代を送り、暮らしぶりも母親の収入だけが頼りで、豊かではなかった。そんな彼の人生にとって転機となったのが、叔父の勧めによるワルシャワの演劇技術学校への入学である。演劇や美術への関心を高めた彼は、二度の受験失敗を経て、アンジェイ・ワイダやロマン・ポランスキら世界的に著名な監督たちを輩出したことで知られるウージ国立映画大学へ入学。そこでオーソン・ウェルズやフェデリコ・フェリーニらの映画と出会い、影響を受けながら、ドキュメンタリー映画と劇映画を学ぶ。卒業製作『ウージの街から』Z miasta Łodzi(1969)は、大学のある古びた街をスケッチする短編ドキュメンタリー作品。学校を卒業するとワルシャワの国立ドキュメンタリー映画スタジオに採用され、多くのドキュメンタリーやコマーシャル映画を撮る。この時期の作品ではとくに『ある党員の履歴書』(1975)が西側での彼の知名度を高めた作品として重要である。共産党から除名を言い渡された労働者が党に不服を申し立てる経緯を追うこの映画では、似た体験をした男性を主役に「物語」を再現するドキュメンタリーとフィクションを混在させた手法が効を奏し、労働者にとって「理想」の国家であるはずのポーランドの「現実」に焦点を当てると同時に、乗り越え難い壁に直面し、運命に翻弄(ほんろう)される存在、という後年の彼の劇映画作品の主人公につながる人物像をも浮かび上がらせる。さらにこの主題は、工場建設を命じられて地方に派遣された建設技師が現地住民の反対から板ばさみに苦しむ模様を描く、長編劇映画デビュー作『傷跡』(1976)でも継承された。

 娘の誕生を機に8ミリカメラを購入した平凡な労働者がしだいに常軌を逸したかのように映画にのめり込む模様を描く、長編劇映画第二作『アマチュア』(1979)は、「映像文化にとって真のコペルニクス的革命」との評価を受けてモスクワ国際映画祭でグランプリを獲得。キェシロフスキ自身、撮影のプロセスで対象の変革にまで向かわずにいられないことへの倫理的警戒からドキュメンタリーを離れ、このころからしだいに劇映画に専念していくようになる。さらに、1980年の自主管理労組「連帯」の誕生、それに対する1981年の「戒厳令」発動といった激動のポーランド現代史の渦中にあって、キェシロフスキは「政治」からも明確に距離を置く決意を固める。

 彼の代表作『デカローグ』(1988~1989)は、テレビ放映用に製作されたもので、『旧約聖書』の十戒をモチーフとしている。ある集合住宅の住人を登場人物に10の異なるエピソードが展開され、おのおの1時間弱の物語は重なるようで重ならず、無縁のようで実はかすかな関係性を形成する、といった構造をもつ。キェシロフスキが自作における世界観や方法論を確立させた記念碑的な大作である。なお、全10話から成るエピソード中、第5話と第6話のロング・バージョンが、それぞれ『殺人に関する短いフィルム』(1987~1988)、『愛に関する短いフィルム』(1988)として各地の国際映画祭に出品され、前者がカンヌ国際映画祭で審査員賞・国際批評家連盟賞に輝くなど、高い評価を受けた。

 国際的な名声を高めたキェシロスフキは、続くフランスとの合作映画『ふたりのベロニカ』(1991)でいよいよ海外資本による仕事に乗り出す。同じ年の同じ日、同じ時刻に生まれた、ポーランドとフランスで暮らす2人のベロニカ(女優イレーヌ・ジャコブIrene Jacob(1966― )の一人二役)の間の不可思議なシンクロニシティを通し、制御不可能な運命に翻弄される人間の葛藤を描く作品である。得意の題材を得たキェシロフスキはその手腕を遺憾なく発揮、カンヌ国際映画祭の主演女優賞をジャコブにもたらしたばかりか、興行的にも世界的なヒットを記録した。続いて、冷戦を終えてヨーロッパ統合への動きが活発化するなか、フランス国旗を構成する三つの色である青(自由)、白(平等)、赤(博愛)をテーマに、それぞれ舞台や質感の異なる壮大な三部作を企画。フランスが舞台の『トリコロール 青の愛』(1993)、ポーランドに舞台を移した『トリコロール 白の愛』(1994)、スイスを舞台とする『トリコロール 赤の愛』(1994)として完成させ、ベネチア、ベルリン、カンヌの国際映画祭へ連続出品して話題を呼んだ。

 こうして名実ともに国際的な映画監督としての地位を確立したキェシロフスキだが、それから時を経ずして、1996年、持病の心臓病が悪化、突然の心臓発作で生涯を閉じる。なお、遺稿となったダンテの『神曲』に着想を得た三部作の脚本のうち「天上編」は、ドイツの映画監督トム・ティクバTom Tykwer(1965― )の手で『ヘブン』Heaven(2002)として映画化された。

[北小路隆志]

資料 監督作品一覧

地下道 Prejscie podziemne(1973)
初恋 Pierwsza milosc(1974)
ある党員の履歴書 Zyciorys(1975)
スタッフ Personel(1975)
傷跡 Blizna(1976)
平穏 Spokoj(1976)
アマチュア Amator(1979)
短い労働の日Krótki dzien pracy(1981)
偶然 Przypadek(1982)
終わりなし Bez końca(1984)
殺人に関する短いフィルム Krótki film o zabijaniu(1987~1988)
デカローグ Dekalog(1988~1989)
愛に関する短いフィルム Krótki film o miłości(1988)
ふたりのベロニカ Podwójne życie Weroniki(1991)
トリコロール 青の愛 Trzy kolory : Niebieski(1993)
トリコロール 白の愛 Trzy kolory : Biały(1994)
トリコロール 赤の愛 Trzy kolory : Czerwony(1994)

『和久本みさ子訳『キェシロフスキの世界』(1996・河出書房新社)』『遠藤万吏子・古森由夏編『キェシロフスキ・コレクション』(パンフレット・2003・ビターズ・エンド)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「キェシロフスキ」の意味・わかりやすい解説

キェシロフスキ
Kieslowski, Krzysztof

[生]1941.6.27. ワルシャワ
[没]1996.3.13. ワルシャワ
ポーランドを代表する映画監督。1970~90年代にかけてドキュメンタリー映画,長編映画およびテレビ映画を手がけ,現代社会の抱える社会的・道徳的テーマを探求した。1968年にウッチの国立映画大学を卒業後,ドキュメンタリー映画の制作を始める。ポーランド産業界における労使関係に焦点をあてた『傷跡』Blizna(1976)が,初の長編として劇場で公開。ポーランドの官僚機構と検閲制度を風刺した『アマチュア』Amator(1979)で世界的に注目を集める。旧約聖書の十戒をモチーフにした全 10話のテレビシリーズ『デカローグ』Dekalog(1989)は,1989年のベネチア国際映画祭でも上映され,現代映画を代表する傑作とみなされている。イレーヌ・ジャコブが 2役を演じた『ふたりのベロニカ』La double vie de Véronique(1991)は,興行的に成功するとともに批評家にも高く評価された。1993~94年にはフランスの三色旗が表す自由,平等,博愛をテーマにした『トリコロール』Trois Couleursの三部作を制作した。何回か引退を宣言しつつも復帰しており,1996年に死去したときにはアリギエーリ・ダンテの『神曲』をモチーフにした新たな三部作の脚本にとりかかっていた。

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