日本歴史地名大系 「前谷新田」の解説 前谷新田まえやしんでん 埼玉県:行田市前谷新田[現在地名]行田市前谷北は持田(もちだ)村、東は下忍(しもおし)村。忍城の下忍門から中山道吹上(ふきあげ)村(現吹上町)に出る道が南北に通る。「今ハ田ニ成、昔龍淵寺ノ加蔵主此沼ニ沈在鐘ヲ上テ寺ニ掛」けたという伝説の三千坊沼があった(武蔵志)。龍淵(りゆうえん)寺(現熊谷市)の加蔵主すなわちのちに下総国古河大聖(だいしよう)院の開山となった大朝宗賀の鐘引伝説は、龍淵寺年代記(東京大学史料編纂所蔵影写本)によれば嘉吉二年(一四四二)のことであった。持田村が新田として前谷を開発したのは寛永年間(一六二四―四四)と伝えるが(郡村誌)、正保国絵図・元禄年中改訂図(風土記稿)には載らない。新田開発後も水腐常習の湿田地帯が多く、住民が定着することは少なかったようで、元文三年(一七三八)には三分の一以上の田が見捨地になっていた(「年貢減免願書」三田家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報