コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

忍藩 おしはん

5件 の用語解説(忍藩の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

忍藩
おしはん

江戸時代,武蔵国埼玉郡忍地方 (埼玉県) を領有した藩。慶長5 (1600) 年,松平忠吉が尾張 (愛知県) 清洲に移ってのち,酒井忠勝5万石,松平信綱3万石を経て,寛永 16 (39) 年阿部忠秋が3万石で入封したが,阿部氏は元禄7 (94) 年までに 10万石に達し,文政6 (1823) 年陸奥白河 (福島県) に転封するまで続き,代って家門松平忠堯が伊勢 (三重県) 桑名より入封,廃藩置県まで同氏が在城した。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

忍藩【おしはん】

武蔵国埼玉郡忍(現埼玉県行田市)に藩庁を置いた譜代藩。忍城には戦国末期成田氏が居城。1590年徳川家康は深溝(ふこうず)松平家忠を城整備のため配置した。1592年東条松平忠吉が10万石で入封。
→関連項目紀伊国屋文左衛門

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

藩名・旧国名がわかる事典の解説

おしはん【忍藩】

江戸時代武蔵(むさし)国埼玉郡忍(現、埼玉県 行田(ぎょうだ)市)に藩庁をおいた譜代(ふだい)藩。藩校は進修館。1590年(天正(てんしょう)18)の徳川家康(とくがわいえやす)関東入国の際、松平(深溝(ふこうず))家忠(いえただ)を1万石で入封(にゅうほう)、立藩させた。次いで92年(文禄1)に家康の4男松平忠吉(ただよし)が10万石で入封したが、1600年(慶長(けいちょう)5)の関ヶ原の戦い後に尾張(おわり)国清洲(きよす)藩に転封(てんぽう)(国替(くにがえ))となり、以後、深谷藩主酒井忠勝の加増地になった一時期をのぞき、30年間にわたって番城となった。33年(寛永(かんえい)10)、老中松平信綱(のぶつな)が3万石で入封、以後、39年に5万石で入った老中の阿部忠秋(ただあき)以下9代、1823年(文政(ぶんせい)6)に10万石で入った松平(奥平)忠堯(ただたか)以下5代を経て明治維新に至った。幕末には房総沿岸の警備や品川防衛を担わされた。1871年(明治4)の廃藩置県により、忍県を経て埼玉県に編入された。

出典|講談社
(C)Kodansha 2011.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

おしはん【忍藩】

武蔵国埼玉郡に藩庁を置いた譜代中藩。戦国末期,成田長泰・氏長の居城であったが1590年(天正18)豊臣秀吉の関東攻略により落城。同年8月徳川家康は深溝(ふこうず)松平家忠を利根川沿岸諸村1万石の地に配置した。家忠は伊奈熊蔵らの検地をうけた後,領地の経営にあたったが92年(文禄1)下総国上代(かじろ)に転じ,同年東条松平忠吉が10万石で入封し,成田氏旧臣などを加え家臣団を強化した。また95年利根川の流路変更の大工事を達成し,耕地の拡大に成功した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

忍藩
おしはん

徳川家康の関東入国以降、武蔵(むさし)国忍(埼玉県行田(ぎょうだ)市)に置かれた譜代(ふだい)藩。1590年(天正18)深溝(ふこうず)松平家忠(いえただ)が1万石で入封し、戦国末期に成田氏の領した忍城を回復し居城としたが、92年(文禄1)下総(しもうさ)国(千葉県)上代(かじろ)に転封、ついで松平忠吉(ただよし)(家康四男)が10万石で入封し、94年利根(とね)川流路の改修により領内の整備を進めた。忠吉が関ヶ原の戦い後、1600年(慶長5)尾張(おわり)(愛知県)清洲(きよす)城に移ると、忍領は城番の配置を経て26年(寛永3)深谷(ふかや)藩酒井忠勝の加増地となった。その後、忍領は1633年松平(大河内(おおこうち))信綱(のぶつな)が3万石で入封して藩主となり老中も勤め、39年川越転封まで藩政の充実に努力した。同年下野(しもつけ)(栃木県)壬生(みぶ)から阿部忠秋が入封し5万石を領した。忠秋は1647年(正保4)1万石、63年(寛文3)2万石の加増により8万石となる。阿部家は忠秋、養子正能(まさよし)、正武(まさたけ)と3代老中に列した。正武のとき10万石となり、1699年(元禄12)相模(さがみ)(神奈川県)・上野(こうずけ)(群馬県)の所領を武蔵に移され、忍領6万石、秩父(ちちぶ)領・鉢形(はちがた)領・柿木(かきのき)領2万石、摂津(大阪府・兵庫県)2万石の藩領となった。翌年正武は忍城を改築した。ついで正喬(まさたか)が老中につき、以後正允(まさちか)、正敏、正識(まさつね)、正由(まさより)、正権(まさのり)と続いたが、1823年(文政6)陸奥(むつ)(福島県)白河に転封となり、桑名から松平忠堯(ただたか)が入封した。藩領は武蔵8万石、播磨(はりま)(兵庫県)2万石であったが財政難に苦慮した。ついで忠彦(たださと)・忠国のとき上総(かずさ)・安房(あわ)(千葉県)の沿岸防備を負担し、忠誠(ただざね)、忠敬(ただたか)と続いた後、廃藩置県を迎え、1871年(明治4)7月忍県となり、11月には埼玉県に編入された。[大舘右喜]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の忍藩の言及

【譜代大名】より

…そのため,外様大名に比較して転封(国替)が著しく,しかもその所領は天領や旗本領との間に統廃合,切替えが行われたため,著しく分散知行化(非領国型)するに至った。例えば1664年(寛文4)武蔵忍(おし)藩の所領は,老中阿部忠秋の所領であったが,その所領高8万石は,武蔵のうち埼玉(35ヵ村),大里(31ヵ村),秩父(27ヵ村),足立(13ヵ村),幡羅(2ヵ村),男衾(9ヵ村)の6郡のほか相模三浦郡(8ヵ村),上野新田郡(7ヵ村)に存在した。幕府は親藩とともに譜代大名といえども,世嗣断絶ないし幕法違反の場合は改易し,幕藩体制の維持につとめた。…

※「忍藩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

忍藩の関連キーワード盛典武蔵平武蔵野陵むさしのFM埼玉県ふじみ野市大井武蔵野埼玉県日高市武蔵台埼玉県深谷市武蔵野埼玉県川越市むさし野武蔵〈町〉鳳紋武蔵

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone

忍藩の関連情報