日本歴史地名大系 「持田村」の解説
持田村
もちだむら
- 埼玉県:行田市
- 持田村
北は
寛永一〇年(一六三三)忍藩領となり、幕末まで変わらず。同一二年の忍領御普請役高辻帳(中村家文書)に村名がみえ、役高三千七〇九石余。田園簿によると高三千七七一石余、反別は田方三一五町八反余・畑方二一町五反余。
持田村
もちだむら
松山平野のほぼ中央平坦部に位置する農村。東は
この村から弥生前期に属する木葉文土器、後期の土器が発掘され、また近郷に水田耕作の遺跡が存在する。古代には温泉郡
持田村
もちだむら
- 岐阜県:各務原市
- 持田村
持田村
もちだむら
持田村
もちでんむら
持田村
もちだむら
持田村
もちだむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報