日本大百科全書(ニッポニカ) 「劉洪」の意味・わかりやすい解説
劉洪
りゅうこう
(129?―210?)
中国後漢の天文学者。字(あざな)は元卓。泰山蒙陰(現、山東省臨沂(りんぎ)市)の生まれ。前漢の魯王(ろおう)劉興の子孫で、幼時より学問を好み、とくに天文暦法の研究に力を注いだ。また、山陽郡の太守など多くの官職を歴任した。
もっとも重要な業績は、後漢霊帝(れいてい)(在位168~189)の光和年間(178~184)に乾象暦(けんしょうれき)を創始し、修正を加えて献帝の建安11年(206)に完成させたことである。しかし、乾象暦は後漢では使われず、三国時代の呉で使われた。乾象暦の特徴は月が楕円(だえん)軌道を動くことによる天球上での不均一な動きを暦に反映させたことである。また白道(天球上の月の通り道)と黄道(天球上の太陽の通り道)の間の傾斜が約6度あると記した。
[編集部 2023年7月19日]