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三国時代 さんごくじだい San-guo; San-kuo

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

三国時代
さんごくじだい
San-guo; San-kuo

中国,後漢滅亡後,三国時代,蜀 (→蜀漢) の三国が鼎立した時代。黄巾の乱を契機として後漢王朝の支配力はまったく失われ,各地に群雄が起ったが,華北を平定した曹操,江南に拠る孫権,蜀 (四川) に入った劉備による三国鼎立の大勢が次第に輪郭を明らかにしてきた。

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デジタル大辞泉の解説

さんごく‐じだい【三国時代】

中国で、後漢滅亡後、280年のの統一まで、の三国が天下を3分し、互いに抗争した時代。
朝鮮で、4世紀半ばから668年に新羅が統一するまで、新羅・高句麗百済の三国が鼎立(ていりつ)した時代。

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世界大百科事典 第2版の解説

さんごくじだい【三国時代 Sān guó shí dài】

3世紀の中国で(漢)の3国が鼎立していた時代をいう。統一帝国として400年の命脈を保った漢王朝の瓦解によって生まれた政局で,魏晋南北朝の分裂時代がここに始まる。政治上のみならず,社会・経済や思想・文化のうえでも画期的な時代であり,東アジア全体からいえば,非漢族の小国家が中国周辺において萌芽する時期である。
[三国分立時代の形成と展開]
 184年(光和7)の黄巾の乱とこれに続いて頻発する大衆的反乱は,全国に軍閥勢力を興起させる契機となった。

さんごくじだい【三国時代】

古代朝鮮で,313‐676年にわたり高句麗百済新羅の3国が鼎立・抗争した時代。この時代には三国が貴族連合体制の国家となったが,中国の植民地支配を脱したものの,なお強力な軍事介入のあった時代である。3国は積極的に中国文化を導入し,儒教,仏教,道教をはじめ,これにともなう貴族文化や政治制度を,それぞれの国情に合わせて取捨選択した。また,住民がこの戦乱期に自衛するだけでなく,侵略軍を阻止するために山城(さんじよう)を創造するなど,民族独自の文化を作り出した時代でもあった。

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大辞林 第三版の解説

さんごくじだい【三国時代】

中国、後漢滅亡後、魏・呉・蜀(蜀漢)三国の抗争した時代(220~280)。
朝鮮で、四~七世紀、高句麗こうくり・百済くだら・新羅しらぎの三国が分立抗争した時代。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

三国時代
さんごくじだい

中国で、3世紀に魏(ぎ)、呉(ご)、蜀(しょく)の三国が鼎立(ていりつ)した時期約40年間をいう。後漢(ごかん)の混乱期に各地に独立した勢力のなかで、曹操(そうそう)は後漢の献帝(けんてい)を擁し、河北の統一に成功し、208年南下を企てた。しかし赤壁(せきへき)の戦いで劉備(りゅうび)、孫権(そんけん)の連合軍に敗れて北に帰った。一方、赤壁の戦い後、劉備と孫権は荊州(けいしゅう)(湖北、湖南)および益州(四川(しせん))の領有をめぐって争い、結局、劉備が益州を、孫権が荊州を手にし、孫権はもとからの支配地であった揚州(ようしゅう)(江蘇(こうそ)、浙江(せっこう))とともに揚子江(ようすこう)以南を領土とし、三国鼎立の業がほとんどできあがった。220年11月、曹操の子曹丕(そうひ)は洛陽(らくよう)において献帝の譲を受けて魏を開き、これを聞いた劉備は翌年4月、成都に即位し漢(蜀漢)が成立した。孫権も別に年号をたてたが、229年建業(南京(ナンキン))にあって即位した。三国は初期にあっては魏・呉対蜀が、225年以後は魏対呉・蜀といった対立を軸にして動いていくが、234年の諸葛亮(しょかつりょう)の死後はさしたる戦いもなかった。263年、魏は蜀を滅ぼし、鼎立の時代は終わったが、265年、魏も晋(しん)の武帝に国を奪われた。呉が滅亡したのは280年のことである。陳寿(ちんじゅ)の『三国志』は三国時代の正史であり、『三国志演義』はそれをもとにした小説である。
 三国時代を挟んで漢と晋・南北朝とを比較してみると、社会や経済、文化など種々の面においての差異をみることができる。このことが三国時代の特徴をよく示している。まず漢による統一支配が崩壊して、つねに複数の王朝の存在する分裂の時代が生じた。中央の官制についていえば、尚書省、中書省、門下省が形成され発展し、貴族の政治関与に役割を果たしたが、漢代の皇帝側近の官から分かれ出たものである。また官吏登用法では、魏成立期に九品官人法が施行されて、漢代の郷挙里選(きょうきょりせん)にかわり、さらにその運営は貴族制をつくりあげるものとなっていった。土地制度の面では、曹操がすでに本拠地の許(河南省許昌(きょしょう))において民屯を開き、無主の土地を人民に耕作させて小作形態をとったが、それが魏一代を通して行われ、晋代の占田・課田制へと展開していった。また兵制では、魏は兵戸制を行って、兵士を一般戸籍から分かち、その身分を世襲させた。呉では奉邑(ほうゆう)制をとって、諸将に軍隊を養う奉邑を与えている。次に文化面をみると、儒教の地位が相対的に衰え、老荘思想が重んぜられ、清談(せいだん)が行われた。五斗米道(ごとべいどう)や仏教もしだいに教線を広げ、文学その他の芸術も独自の価値を認められた。[狩野直
『森鹿三・狩野直他著『東洋の歴史4 分裂の時代』(1967・人物往来社) ▽川勝義雄著『中国の歴史3 魏晋南北朝』(1974・講談社)』

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