加々美庄(読み)かがみのしよう

日本歴史地名大系 「加々美庄」の解説

加々美庄
かがみのしよう

釜無川右岸の現若草町一帯にあったと考えられる庄園。加賀美とも書く。成立年代は不明だが、建永元年(一二〇六)慈円起請文(門葉記)に「加々美庄」とみえ、慈円を養育した禅尼(藤原通季の娘・藤原経定の妻)の相伝の所領であったが、彼女の死後慈円が伝領していた。慈円が京都青蓮しようれん院を前年、京都三条白川さんじようしらかわ坊から東山大谷ひがしやまおおたに(ともに現京都市東山区)に移した際の主要建物の大懺法だいせんぼう院に禅尼の菩提供養のために付属せしめられた。年貢は布二〇〇段であった。慈円が三度目の天台座主を去るにあたって作成した建暦三年(一二一三)二月の慈鎮所領譲状案(華頂要略)には、極楽寺(現京都市伏見区)の「別相伝」領として加々美庄がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む