加用村(読み)かようむら

日本歴史地名大系 「加用村」の解説

加用村
かようむら

[現在地名]三和町字加用

近世河合かわい村の一集落であるが、実態としてはほぼ独立した村であったと思われる。佐藤信淵の「巡察記」も「川合ノ郷七村」の一つとして「加用村」をあげる。高一五四・二七石、民家三五戸(丹波志)

丹波志」によると北は「上河合ニ凡三十町牛馬道」で、東から南にかけては「弐町斗南エ出ル所山ノ尾端ニ蹈行岩有、此所船井郡猪ノ鼻村ノ内横谷エ行間道、凡四町斗牛道不通」とあるように船井郡に通じ、「薬師堂ヨリ南エ女烏嶺ハ大身村エ行間道、牛馬不通、(中略)、拾町斗」と南は大身おおみ村であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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