日本歴史地名大系 「加能越三箇国高付帳」の解説
加能越三箇国高付帳(正保四郡高付帳)
かのうえつさんかこくたかつけちよう
一二冊
原本 加越能文庫
解説 正保国絵図作製に伴い、正保三年八月幕府に提出された郷帳の控書。寛永一六年に富山藩・大聖寺藩が分藩したため、越中はこの時点では松平肥前守(前田利常)養老領・松平淡路守(前田利次)領(富山藩領)・松平飛騨守(前田利治)領(加賀大聖寺藩領)・松平犬千代領(前田綱紀領)に四分していた。付札に「寛文四年ニ江戸上リ候刻、朱書ニ仕也」とあり、万治三年の領地替の状況も示される。本高とその田畑別の内訳を記し、新田高がある場合は別筆で新田高とその田畑別内訳を記載する。本高には水損所・日損所・はへ山・柴山などの特記がある。第一冊は新川郡で本高一八万七千五〇五石余,第七冊は婦負郡で七万二千五四一石余、第八冊は中郡(射水郡)一三万二五六石余、第六冊は利波郡(礪波郡)二〇万二千一一一石余で、本高計五九万二千四一五石余のうち犬千代領三三万二千三六八石・淡路守領九万一三七石余・飛騨守領四千三二二石余・肥前守領一六万五千五八六石余。寛文印知の際にも本帳が利用され、実際高と知行高の差は籠高として認められた。以後天保郷帳までの高辻帳・郷帳は当帳を基準にして机上操作したもので、実態的な高・物成とまったく遊離したものとなった。
MF 富山県立図書館
活字本 「富山県史」史料編III付録(越中国分を表化)・史料編V(富山藩領分のみ)
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報