加茂野村(読み)かものむら

日本歴史地名大系 「加茂野村」の解説

加茂野村
かものむら

[現在地名]石井町高川原たかがわら 加茂野

桜間さくらま村の西に位置し、西は高川原村、南は市楽いちらく村、北は名東みようどう芝原しばはら(現徳島市)。現神山かみやま町の勧善かんぜん寺が所蔵する大般若経巻五九〇の奥書によれば、嘉慶二年(一三八八)一〇月五日に「鴨部下庄遍照坊」で書写されたとあり、鴨部下庄を当地にあてる説がある。天正一二年(一五八四)一一月一四日の所領宛行状(土佐国蠧簡集)に賀茂野村とみえ、長宗我部氏は当村など九ヵ村の五六筆・八町四反余の地を土居重兵衛尉に与えている。慶長期(一五九六―一六一五)のものと推定される国絵図に「かもの村」、寛永一五―一八年(一六三八―四一)頃の作製と推定される阿波国大絵図では、以西いさい郡に属して加茂野村とみえる。


加茂野村
かものむら

[現在地名]美濃加茂市加茂野町加茂野

太田おおた村の北西、関街道の南にある。慶長郷帳では幕府領二〇五石と旗本滝川豊前領七石余。正保郷帳では尾張藩領は田方一三九石余・畑方六五石余。滝川与三右衛門領は野高七石余(草山)。明暦覚書によれば尾張藩へは元和五年(一六一九)に編入され、同藩概高は一七六石余。慶安四年(一六五一)の男女一二八、馬一三。「濃州徇行記」によれば、家数三〇・男女一二九、馬一一。加茂野原を開墾した土地で、もっぱら農業で渡世する。滝川領の野は村の南西にあり、東西八町・南北四町ほど。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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