高川原村(読み)たかがわらむら

日本歴史地名大系 「高川原村」の解説

高川原村
たかがわらむら

[現在地名]石井町高川原 高川原

北東流する飯尾いのお川右岸に位置し、南は石井村、東は加茂野かもの村・市楽いちらく村、西は南島みなみじま村・天神てんじん村、北は高畠たかばたけ村・天神村。吉野川が形成した沖積平野上の肥沃な微高地にある。戦国期には高河原城があり、白鳥氏が拠っていたという(城跡記)。天正一二年(一五八四)一一月一四日、長宗我部氏は高河原村など九ヵ村にある五六筆・八町四反余の地を土居重兵衛尉に与えている(「所領宛行状」土佐国蠧簡集)。慶長二年(一五九七)の分限帳には高河原と記され、山崎六郎右衛門が三五〇石余、津田勝三郎が一八二石余、堀才蔵が一八二石、山田八蔵が一七六石余、樋口内蔵助・小崎兵三郎が各一〇〇石、岡崎九郎三郎が六八石を知行


高川原村
たかがわらむら

[現在地名]西尾市高河原たかがわら

市の東に位置し、「三河堤」にいう中吉良なかきら南端矢作古やはぎふる川・広田こうた川に挟まれた最低部に属す。川が矢作古川の東に沿って村の西を流れる。三河川はこの地に合流して南に流れる。慶長九年(一六〇四)の米津清右衛門検地高に村名をみない。「三和村誌」は、水郷ともみるべき地で、水に縁の深い地名としている。

近世の支配は、初め板倉内膳正領、慶安元年(一六四八)一部が松平対馬守領となり幡豆はず陣屋(現幡豆郡幡豆町)の支配を受けて幕末に至り、残りは天和元年(一六八一)幕府領、元禄一一年(一六九八)旗本石川氏領となり保久ほつきゆう陣屋(現額田郡額田町)の支配を受けて幕末に至る。


高川原村
たかがわらむら

[現在地名]古座川高池たかいけ

古座川の下流東岸に位置する小村。北は池野口いけのくち村、南東中湊なかみなと(現古座町)に接する。鎌倉時代以来の熊野の土豪で、戦国時代に付近一帯を領地とした高川原(高瓦)氏が居住したといわれる(「高瓦氏家譜」青原寺蔵)。「続風土記」は村名の由来を「中湊村の乾に村居相接して古座川に添ふ、土地高き川原なり、因りて名とす」と記す。近世中期頃まで村落山手にあったという。

慶長検地高目録によれば村高一二五石余、小物成九升七合。古座組に属し、「続風土記」には家数七六、人数二九〇とある。天保郷帳は高河原村と記す。村内の岩鼻いわはなに和歌山藩の御仕入方役所が置かれ、元禄一五年(一七〇二、宝永元年とも)以降、当村および隣村の炭の生産を保護し統制した(南紀徳川史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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