加藤忠右衛門(読み)カトウ チュウエモン

20世紀日本人名事典 「加藤忠右衛門」の解説

加藤 忠右衛門
カトウ チュウエモン

昭和期の教育実践家



生年
明治41(1908)年

没年
昭和23(1948)年

出生地
秋田県

学歴〔年〕
秋田師範卒

経歴
湯沢女子小学校教師となり、昭和4年文集「わかな」を創刊。翌5年「北方教育」創刊に参加、さらに同年9月創刊の「新興教育」の読者グループを組織した。6年教労秋田支部が弾圧されたのち、県南を中心に佐藤維四郎らと新教同盟秋田支部を結成し、教労秋田支部も再建凶作のため東北地方に欠食児童が激増したため、7年「新興教育」誌上に「欠食児童資料室」を設け、実態調査に基づく救援活動と教育闘争を起こすことを提唱。8年新教同盟秋田支部への弾圧で検挙される。のち消費組合運動などに参加し、13年復職。満州の興農合作社に勤めたが、戦後引揚げた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加藤忠右衛門」の解説

加藤忠右衛門 かとう-ちゅうえもん

1908-1948 昭和時代の教育者。
明治41年1月3日生まれ。小学校教諭となり,新興教育同盟秋田支部を結成。昭和7年凶作による欠食児童の実態をしらべ,「新興教育」誌上で救援活動,教育闘争をよびかけるが弾圧,検挙される。13年復職,のち満州(中国東北部)にわたった。昭和23年1月5日死去。41歳。秋田県出身。秋田師範卒。別名に後藤夫(不)木。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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