北方教育(読み)ほっぽうきょういく

改訂新版 世界大百科事典 「北方教育」の意味・わかりやすい解説

北方教育 (ほっぽうきょういく)

全国誌の《綴方生活》に呼応して生活綴方運動をおしすすめた北方教育社(秋田市)から1930年2月に創刊された綴方雑誌。その創刊宣言に〈教育地方分権の潮流に依って生れた北方的環境に根底を置く綴方教育研究〉とあるように,国定教科書を教えるだけの画一的な教育に反対した。また《赤い鳥》流の文芸主義的な綴方を批判して,綴方と社会科学との結合をめざし,東北農村の地域性,厳しい自然環境とそのなかでの児童を含めた過酷な農漁業労働や貧しい生活をふまえた生活学習を展開しようとした。編集兼発行人の成田忠久を中心に同地方の綴方教師滑川道夫や佐々木昂らの同人組織として,実践記録や創作のほか,児童作品の批評,学校文集の紹介などを行い,教育のリアリズムや生活と表現の問題を論じた。北方教育社の教育改造運動はこの雑誌およびサークル活動・研究会を通じて県外グループとの交流が広がり,34年11月の北日本国語教育連盟結成の軸となるなど〈北方性教育運動〉へと発展した。ここでいう〈北方〉〈北方性〉などの概念は,たんなる地理的な自然環境をさすばかりでなく,東北特有の社会経済構造のほか,文化史上の単位および民俗的まとまりなど多様な内容を含むもので,〈生活台〉と呼ばれた。この〈生活台〉に〈正しく姿勢する〉(北日本国語教育連盟宣言)ことが真の教育であると主張された(その代表的な理論を展開したのは佐々木昂であった)。雑誌そのものは,36年2月第16号(38ページ)で中絶し,以後4ページだてのものを4回出して終刊となった。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の北方教育の言及

【生活綴方】より

…その原型を打ち出した一人である小砂丘(ささおか)忠義は高知県の山村の小学校での実践をへて,1930年から《綴方生活》を編集,全国的な運動の契機をつくったが,その伏線として芦田恵之助の随意選題綴方の主張や鈴木三重吉の《赤い鳥》(1918創刊)による綴方のリアリズムの運動があった。農村の疲弊が進むなかで,東北地方では秋田の青年教師たちを中心に《北方教育》(1930)が創刊され,社会科学的な観点から生活を把握する眼を綴方を通して育てようとする〈北方性教育運動〉が展開された。しかし,戦時体制の強化とともに生活綴方運動も弾圧を受けた。…

※「北方教育」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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