加藤隼人佐宅跡(読み)かとうはやとのすけたくあと

日本歴史地名大系 「加藤隼人佐宅跡」の解説

加藤隼人佐宅跡
かとうはやとのすけたくあと

[現在地名]熱田区旗屋町

加藤氏は熱田の郷士で、文禄四年(一五九五)の頃には熱田大宮司とともに熱田を支配した(雑志)。本家加藤図書助家(東加藤)に対して西加藤と俗称。東加藤家の祖宗繁の曾孫順光の弟延隆(全朔)を西加藤家の祖とする。永禄一〇年(一五六七)四月、富士見の途中、熱田に立寄った里村紹巴は、先を急ぐからと全朔が所望した連歌会を催さず、帰り道の七月に会を催したが、全朔のことを延隆ではなく、貞政と記している(富士見道記)

全朔は臨済宗竜珠寺・真言宗喜見寺を開基

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む