加賀国分寺(読み)かがこくぶんじ

日本歴史地名大系 「加賀国分寺」の解説

加賀国分寺
かがこくぶんじ

加賀国の国分寺は、弘仁一四年(八二三)の加賀立国から一八年後の、承和八年(八四一)に定められた。「続日本後紀」同年九月一〇日条に「以加賀国勝興寺為国分寺。准和泉(分脱カ)寺只置講師一員僧十口。其僧者便分割越前国々分寺僧廿口之内」と記され、新設されたのではなく、それまで存在していた勝興しようこう寺を転用して国分寺としたことがわかる。また僧は越前の国分寺の僧二〇口のうちから一〇口を割いたものであった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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