日本古代の令制官司。玄は僧,蕃は海外諸国の意で,《和名抄》は〈ほうしまらひと(法師客人)のつかさ〉と訓じている。治部省の管轄下にあって,京内の寺院・仏事,諸国の僧尼の掌握,外国使節の接待,鴻臚館(こうろかん)の管理などをつかさどった。中国では玄は道教を意味し,隋・唐では崇玄署という道士(道教を修めた人)を監督する役所が設けられたが,この役所は同時に僧尼に関することも担当した。玄蕃寮の〈玄〉はおそらくこの役所に由来するもので,日本には道士が存在しなかったので,玄で僧侶のみを指すことになったのであろう。僧侶と外交では奇妙な取合せのようであるが,当時僧侶には海外で学ぶものが多く,外交と近縁であったためといわれる。職員は頭(かみ)・助(すけ)・大允(だいじよう)・少允・大属(だいさかん)・少属各1人,史生(ししよう)4人のほか,使部(しぶ)・直丁(じきちよう)などの雑用係がいた。
執筆者:熊谷 公男
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