加賀屋新田(読み)かがやしんでん

日本歴史地名大系 「加賀屋新田」の解説

加賀屋新田
かがやしんでん

[現在地名]住之江区御崎みさき一―八丁目・南加賀屋みなみかがや一―四丁目・いずみ一―二丁目・新北島しんきたじま一―三丁目・同五丁目・同七丁目・中加賀屋なかかがや一―三丁目・東加賀屋ひがしかがや二―三丁目・西加賀屋にしかがや一―三丁目・北加賀屋きたかがや一―五丁目・柴谷しばたに一丁目など

住吉社(現住吉区)西の入江(現在の住吉川)を挟んで南部と北部の二地区に広がる。南部地区は住吉浦の、北部地区は木津きづ川河口の寄洲であったが、享保一五年(一七三〇)幕府の許可をえた加賀屋甚兵衛の手によって、延享二年(一七四五)から開発が始められ、開発主の屋号をとって加賀屋新田と名付けられ、住吉郡に属した。開発はまず南部地区から着手、宝暦五年(一七五五)の初検地以来、天保年間(一八三〇―四四)まで一二回の検地と高入が行われ、計一五八石余の耕地が開発された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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