加賀野井城跡(読み)かがのいじようあと

日本歴史地名大系 「加賀野井城跡」の解説

加賀野井城跡
かがのいじようあと

[現在地名]羽島市下中町加賀野井 東流など

加賀野井を本拠とした土豪加賀野井重宗・重茂(弥八郎。重望とも)居城。県指定史跡。現在小字東流ひがしながれのわずか五〇平方メートルの地に城跡が残されているのみで、全貌は不明。ただ土地の言伝えに城の井戸が木曾川の中ほどにあるといい、城跡の南に内屋敷うちやしきの小字がある。またその南を城屋敷しろやしきというので、かなりの規模の城であり、家臣の屋敷も立並んでいたと考えられる。天正一四年(一五八六)の洪水、慶長一三年(一六〇八)の木曾川改修で城郭・城地の大半を失ったものであろう。

加賀野井氏は織田信長・信雄に仕え、重茂は信雄から加賀野井郷で四一〇貫文の知行を宛行われていた(織田信雄分限帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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