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水野忠重 みずの ただしげ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

水野忠重 みずの-ただしげ

1541-1600 織豊時代の武将。
天文(てんぶん)10年生まれ。水野忠政の9男。徳川家康の家臣。天正(てんしょう)8年(1580)織田信長に属し兄水野信元の旧領三河(愛知県)刈谷(かりや)城をあたえられた。のち豊臣秀吉家臣をへて家康に帰属。慶長5年7月19日堀尾吉晴を接待中,同行の加賀井重望(かがのい-しげもち)と口論となり刺殺された。60歳。通称は藤十郎,惣兵衛。

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朝日日本歴史人物事典の解説

水野忠重

没年:慶長5.7.19(1600.8.27)
生年:天文10(1541)
戦国・安土桃山時代の武将。通称藤十郎,惣兵衛。名は忠勝とも。尾張緒川城主水野忠政の9男で,信元の異父弟に当たる。母は大河内元綱の養女於富という。はじめ兄信元と共に織田信長に仕えたが,永禄4(1561)年から徳川家康に仕え,三河一向一揆との戦,掛川城の戦,姉川の戦,三方ケ原の戦などに戦功をあげている。天正8(1580)年,信長から信元の旧領を与えられ,三河刈屋城主となり,再び信長に仕えることになった。同10年の本能寺の変のときは在京していたが難を逃れ,そのあと織田信雄に仕え,刈屋領7000貫文,緒川領6000貫文を領した。小牧・長久手の戦ののち,豊臣秀吉に仕え,同15年,従五位下・和泉守に叙任された。同18年の小田原攻め後,伊勢神戸4万石に移封され,のち旧領刈屋に復帰した。堀尾吉晴を三河国池鯉鮒で饗応中,同行の美濃加賀井城主加賀井重望(秀望)に刺殺された。なお,このとき重望は堀尾吉晴に討ち取られている。

(小和田哲男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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