(小和田哲男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
豊臣(とよとみ)政権下の大名。可晴とも書き、吉定、吉直ともいう。尾張(おわり)(愛知県)出身。藤吉郎(とうきちろう)時代以来の豊臣秀吉家人として功あり、1573年(天正1)近江(おうみ)長浜(ながはま)に110石を与えられて以降、逐次加増。若狭(わかさ)高浜1万7000石、若狭坂木2万石、近江佐和山4万石の城主を歴任。90年の小田原征伐には山中攻城戦に参加、平定後、遠江(とおとうみ)浜松12万石に加増移封され、98年(慶長3)三中老(ちゅうろう)の一人となる。99年越前(えちぜん)府中城5万石を隠居料として与えられ、嗣子(しし)忠氏(ただうじ)に家督を譲渡。1600年(慶長5)忠氏は出雲(いずも)富田に転封されてまもなく死去し、孫の忠晴(ただはる)が若年のため国政を後見。11年には松江城を築城した。慶長(けいちょう)16年6月17日没。
[谷口研語]
戦国末~江戸初期の武将。尾張御供所に生まれる。茂助と称し,可晴とも書く。豊臣秀吉に仕え,1590年(天正18)遠江浜松の城主となった。のち徳川家康に通じ,別に越前府中を与えられた。1600年(慶長5)会津出兵に子忠氏を従わせ,自身は命により上方,北国の動静を探るため浜松より越前に向かった。途中水野忠重の謀殺に遭遇し,刺客を討った。同年出雲松江24万石に移った。
執筆者:西田 真樹
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…この後山中幸盛等による尼子再興の試みが続けられたというものの,それも失敗に帰し,89年(天正17)には毛利氏による太閤検地が実施されて中世社会は終りを告げることになった。【井上 寛司】
【近世】
1600年(慶長5)11月,関ヶ原の敗戦で長門国に退いた毛利氏に代わって,出雲・隠岐両国24万石の大守として,遠江国浜松から堀尾吉晴が入部した。御帳前18万6000石,内検27万8500石が出雲国の石高であった。…
…市街地は島根半島の南側,宍道(しんじ)湖と中海にはさまれた松江平野に位置し,東流する大橋川によって北の末次(橋北)と南の白潟(しらかた)(橋南)に二分されている。江戸時代初期に堀尾吉晴が北部の亀田山に築城し,京極氏を経て松平氏の城下町として繁栄した。明治維新後,松江に県庁が置かれて県の政治・経済・文化の中心となり,1908年宍道湖の南岸に山陰本線,28年北岸に一畑(いちばた)電鉄が開通して市街地が拡大した。…
…初期は外様,中期以降は親藩。1600年(慶長5)堀尾吉晴が出雲・隠岐両国24万石に封ぜられ,能義郡富田城に入る。07年島根郡末次の亀田山に移城を決定,11年に完成移転,以後歴代藩主の居城となった。…
※「堀尾吉晴」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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