勝南郡(読み)しようなんぐん

日本歴史地名大系 「勝南郡」の解説

勝南郡
しようなんぐん

勝北しようぼく郡の南に位置し、正保郷帳に載る村名からみると東は梶並かじなみ川・吉野よしの川を境に英田あいだ郡、北東は一部吉野郡、西は吉井川で久米南条くめなんじよう郡、北西東南条とうなんじよう郡と接する。郡域は現在の勝田かつた勝央しようおう町南部、英田美作町西部・英田町北西部、津山市南東部、久米郡柵原やなはら町東半部にわたる。

慶長八年(一六〇三)森忠政が美作に入国し、当郡も津山城主森氏の支配下に置かれた。元禄一〇年(一六九七)森氏は断絶、当郡はいったん収公されて幕府領となる。以後、支配領主は複雑に変遷し、地域によって異なるが、郡内に所領を有したおもな領主は以下のとおり。元禄一四年からの甲斐甲府藩主徳川綱豊(のちの六代将軍家宣)。同藩の役所は勝間田かつまだ(現勝央町)に置かれた。元文四年(一七三九)からの丹羽薫氏。同氏は大坂定番で黒土くろつち(現同上)に陣屋を置く。延享四年(一七四七)からの但馬出石藩主仙石氏、明和七年(一七七〇)からの大坂城代久世氏(勝間田村に役所)、天明七年(一七八七)からの下総佐倉藩主堀田氏。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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